荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

不登校の日常vol.61 本当にやってほしいこと

今週のお題「外のことがわからない」

 

書いていたらどんどんアイデアが湧くのは物書きのくせだろうか。

これまでだらけていたのに、キーボードを叩いた瞬間一気に作業モードに入った。

 

さっきの記事を書いていて一つ思い出したことがある。

それは「情弱がどれだけ恐ろしいことか」ということだ。

かつてアニメ化された漫画「ポプテピピック」に書いてあった言葉がある。

「暗闇はなく、無知があるのみ」ちなみにこの言葉はシェークスピアが書いたらしいけど。

 

私の母親然り、教え子たちしかり、無知というのはどれだけ恐ろしいことか。

母親は、自分のかつてのトラウマや、思い込みの激しさや、新しいものをあまり受け入れたがらないということや対話不足で、私をものすごく傷つけた。私は発語が遅かったことや、周りに友達がいなかったこと、当時はネットが発達する前だったこともあって、大学生くらいまで母親の言うことばかり信じていたように感じる。

でも、スマートフォンで気軽にネット検索ができるようになったことや、大学で知り合った友人や彼氏などと話をしていくにつれて、私の世界は一気に広がった。さらに学会入会を果たした後は、会合や家庭コンに行くようになって自分とは異なる分野の人たちと関わるようになり、私の知る世界は今、更に広がっていっていると思う。

だから精神科での治療や抗うつ剤の服薬も怖くない。

母親は薬のせいで私の具合がおかしくなっているとか、薬をやめろとか、精神科に行った時点でだめだとか、闘病に関していろいろ傷つくことを言ってくる。でも、私は教育部のお姉さまに教えていただいた。実は精神科に通うことや抗うつ剤を服用することは、最先端の治療を受けていることだと。そして、海外ではかかりつけ医のように精神科が身近な存在になっていると。それに、抗うつ剤を服用することは、風邪を引いたときに風邪薬を飲むことと同じだと。それを聴いたときには目からウロコが落ちた。

私は何も悪いことはしていなくて、そうか、最先端の治療を受けているから分からなかったのか。それは分からないよな。と。

御書にある三障四魔みたいだなあと思った。だから、知らないというだけで人を傷つけるし、知ることで自分を守れる。勉強は、ある意味自分を守る武器を増やすものなのかもしれない。

 

でも、その「勉強」は、別に難しいものではなくて、要は「見聞を深める」ことなのだと思う。

私がかつて講師を務めたある学校の生徒たちは、自分の好きなものしか興味がなくて、その他のものは一切手を付けない子どもたちが多かった。とにかく無気力なのだ。あの手この手を使って逃げようとした。

そういった子どもたちに課題や努力をさせるために、私も奮闘していたのだが、彼らは話を聴いてみると、本当に閉ざされた空間にいた。誰もかまってくれる人がいなかったり、認めてあげる人がいなかったりした。部活だけやりに来ている子もいた。だから私はなるべく色んな対話をした。それはお互いの過去だったり、彼らの好きなものだったり、愚痴だったり夢だったり、色んな話をした。そこで言えるのが、学校では各教科の勉強が一番大事だけど、見聞を深めるということも同時に指導してあげた方が良いのではないか、ということである。

それは別に難しい本でなくても良い。漫画でも雑誌でもテレビでもネットでも、とにかく普段から色んなものにアンテナを張っておけば、色んな知識が深まるし、社会人になった後、色んなものを楽しむことができるからだ。

そして、考え方も一つの考えに凝り固まることなく、色んな方面から物事を見ることができるようになる。

そうすれば、色んな人と友達になれるし、友達になれば遊び方も増えるから一石二鳥だ。

 

私は普段そういうことを思って街やらショッピングモールやらをふらついている。そしてネットも眺めている。

今の高校生たちは何が好きなのか、巷では何が流行っているのか、何が起こっているのか、自分のためのマーケティングと思って、様々な情報をかき集めている。

無知故に自分が損したり、人を傷つけることがないように。

 

マスクを付けて、外へ出ましょう!!新しい情報はそこらかしこに転がっていますよ!


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県外移動が自由にできるようになったら、各務原のあべまき茶屋で抹茶モンブラン食べたい(*´∀`*)