荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

結井はなぜ不登校に?vol.0 追憶

仕事納めや年末の大掃除、帰省準備などで慌ただしそうな今日このごろ、皆様はいかがお過ごしでしょうか?

結井は今日、相変わらずの遅起き←からの栄に繰り出し、色々買い物していました。

その買い物の内容は、また後で書きますね(^^)ちょっと面白そうなものを買ったので…。

 

さて、年末と言えば、テレビは特番三昧、巷は冬休みだから友達とショッピングや旅行、その他にも遊びに行ったり、ちょっと解放感ありますよね。

結井も、昨年実習助手に受かったあとの仕事納めや冬休みは、とても楽しくて解放感があったのを覚えています。

だって、

 

「受かったから、もう勉強しなくていいんだーーーー!!!!」

これまでは晦日も採用試験の勉強、機械系の専門教養の過去問とか色々やってましたから笑

 

あの時は嬉々として、大晦日ダウンタウンのガキ使、「絶対に笑ってはいけない」を見ていたなあ…。

 

それにしても、受験勉強ほど、長期休暇の邪魔になるやつはない。でも、私の場合、その受験勉強による束縛のしんどさは、今に始まったことじゃない。

採用試験の前、いつ、そんなことがあったかって?

 

高校生の時。

 

私は、愛知県内の県立普通科の高校に通っていて、理系クラスにいた。

当時は数学を勉強するのが好きで、理学部数学科に入って、数学者になるのが夢だった。

微分積分三角関数とか関数が好きだった。数学の緻密な理論を追っていくのが面白かった。

でも、私はそんなに勉強ができた方ではない。というか、自閉症スペクトラムの症状のひとつ、「自分の興味あるものに関しては異常なほどの集中力、記憶力、深い知識を持つ」というのがあったから、成績は好きな教科と嫌いな教科で雲泥の差。その平均を取って、ちょうど真ん中だった。

志望大学へも、この自閉症スペクトラムの症状があったことや、もともと入試問題が自分の実力に合わず難しすぎたことで、とても合格ラインには届かなかった。

それでも、夢があったから、成績を上げようと塾に通って参考書片手に自習したり、授業を受けたりして日夜努力を続けていた。

 

その、小さな努力が崩され始めたのが、高校2年生の冬。

高校で、早朝補習なるものが始まった。始業時間前に学校に来て、大学受験に必要な受験数学や受験英語などの授業を行うもの。

別に、補習をやることに関しては、どの学校もやることだから問題はない。

しかし私が憤ったのは、その補習の取り組ませ方だった。

私の学年は、1クラス40人ほどの学級が6クラスあった。そのうちの1クラスが私の属する理系クラスだった。

残りはすべて文系クラスだった。しかも、この1クラスの理系クラスは、1年生の時の数学と理科の成績優秀者を集めたクラスだった。だから、今思うと、私のクラスは特進クラスのような扱いだったかもしれない。

 

でも、まずここでギモンに思うのが、普通科なのに、なぜ理系クラスを複数作るのを渋るのか」

例えば、私の勤務していたある工業高校のでは、(実際にあった話)

機械系で入学した生徒たちは、1年生の終わりに、機械科自動車科か、どっちの学科に進むか選択しなければならなかった。

しかしその学校は、県内のその地方で唯一、自動車科のある工業高校だったため、自動車科に進学したいと願って入学した生徒が数多くいた。しかし、自動車科のクラスは学年に1クラス。実習用の自動車だって、そんなにたくさんあるわけじゃないし、スタッフは機械科のほうが多かった。ましてや機械科と自動車科は、海と湖ほど違う。

専門知識を持つスタッフもそんなに多くない。しかも、自動車科の最終目標は、3級整備士学科試験合格、つまり、3級整備士の資格を取ることだ。

それを成し遂げるのは、並大抵のことではない。実習には命に関わる危険を伴うこともある。

だから、面倒を見る人間にも限界がある。

だからクラスが1クラスになるのは分かる。

でもね…。

命に関わる危険を伴う実習があるわけでもない。目指さなきゃいけない資格があるわけでもない。普通科

 

何で理系クラスを複数作るのを渋る??

 

やりたいことをサポートし、教えるのが教員でしょう?

それを、「理系に入ると数学が難しくなる」「物理や生物が難しいから、赤点が続出する」と言って、理系に入ろうとする生徒たちを圧迫する教員たち。いやいやいや(;・∀・)

それを、分かりやすい授業で生徒が赤点取らないように防ぐのが教員の仕事だろ。仕事しろや。←不登校教員のお前が言うな

 

前、どこかの職場で聞いたことがある。

 

「平均点の低さは教員の実力不足」と。だから、教員の授業改善が必要なんだけど…。

受験失敗のリスクを恐れてか、自分たちを棚上げにして生徒たちを色んなことして脅し、結果理系クラスは1クラスになった。

でも、それって教員が生徒の勉強したかったことを潰したってことだから、今思うと相当酷い学校だったな、私の母校。

 

その後で始まった早朝補習。

実はここでも学校は生徒を迫害した。

文系クラスは

「補習の講座を自由に選んでいいよ。最悪、補習を受けなくてもいい」と、普通の高校がやるような感じなのに対し

理系クラスは、

「月曜は休みだけどそれ以外はこの時間割でやる。強制だからな」

 

何で?何それ…。

 

私たちだけ強制。しかも、なぜそんな方針を取るのか、理由の説明もない。

 

仕方がないから、極寒の早朝、学校に行きましたよ。

でも、その補習は正直言って、出る価値なんてなかった。英語は厳しくも良い先生だったからまだ良かったけど…。

数学が全然だめ。教員になった今だから分かるけど、指導の質がものすごく悪かった。

自分が補習をやりたい、難しい問題集の講義がしたいからやってるだけで、私達は付き合わされてるだけ。

だから、そこから補習が大嫌いになった。

しかも、その後3年生になった時、早朝補習はなくなった代わりに、土曜補習を入れられた。

また私のクラスだけ強制。しかし、内容は「補習なんか行くより、課題もらって自分で調べながら勉強したほうが絶対に勉強になる」と言っていいほど最悪の質だった。

ので、この土曜補習はよく無断欠席したものだった。

すでにこの時から不登校の兆候は出ていたかもね(;´∀`)

 

そして迎えた最大の地獄、夏休み補習。

これも、容赦なく理系クラスを迫害したの。

文系クラスは

「補習の講座を自由に選んでいいよ。最悪、補習を受けなくてもいい」

理系クラスは、

「夏休み補習は、この時間割でやる。強制だからな」

 

何この違い…。

 

しかも私の担任が私のクラスの数学担当だったこともあって、

「補習が終わったら、その後は全員残って数学の演習問題をやる。できたら帰っていいからな」

 

私のクラスは正直言って、そんなに実力はない。しかもこれは、はっきり言って、その担任の指導の仕方が異常だったことが大きな原因だと思う。

 

だって、2年生の1学期には数学IIを終わらせて、2学期からは数Ⅲをやって、3学期は数Ⅲの積分だよ?

速度が速すぎる。数学の基礎がすべてちゃんと固まってないのに暴走する授業。

理解できてるのは、一部の優等生だけだった。

しかし、生徒が理解できずにいることや、テストの成績が悪いことを怒る担任…。

今だから言える。

 

テストの点数が悪いのは、もちろん生徒が勉強しなかったことが原因だけど、教員がそれだけ理解させてあげられなかったことも大きな原因である、と。

 

しかも、問題が分からなくても、何のアフターフォローもない。

 

そんな状況で「学校に行きたい」と思える??

しかも私は自閉症スペクトラムによるコミュニケーション能力の欠如や、周りの同級生たちと好きなものとかが合わなかったことで、クラスで孤立していた。

誰にも相談なんてできなかった。

 

授業が、勉強が、つらい。学校がつらい。

 

そう愚痴をこぼせる人はどこにもいなかった。息ができないほど苦しかった。首を絞められているような苦しさがよく襲った。

だから私は、色々アドバイスしてくれる先輩や、恋していた先生、その他にも大好きな先生たちがいる塾へしょっちゅう逃げていた。恋していた先生に構ってほしくて、しょっちゅう会いに行っていた。

(↓ちなみにその先生と私のことはここに詳しく書いてあります↓)


不登校の日常 vol.4 恋に落ちたら - 不登校の日常

 

塾が私の居場所だった。

 

親には、そんな理不尽されていることは言えなかった。

だから、順調に勉強してるふりしていた。

親は何も知らず頑張ってるって思ってたから、胸が痛かった。

 

そして、その地獄は、夏休みが終わったあともどんどん深くなっていく。

だから、2学期の補習はほとんど逃げ帰った。やっても何のためにもならない補習なんて、時間を無駄にするだけだ。

と思ったのと、何も面白くない学校に長い時間いたくなかったから。逃げて、逃げて、逃げまくった。

だって、こんな無価値で無意味なものに付き合ったからって、何も利益にならないから。

 

そしてセンター試験直前の冬休みの補習。

夏休みの束縛がトラウマになって、行く気なんてなれなかった。

だから、仮病を使って学校をサボった。親には、学校に行くふりをして、実際には塾に籠もった。

親にいろんなことを隠していて、苦しかった。「学校に行ってきたよ」って嘘をつくことも、苦しかった。

でも、もし真実を打ち明けたとしても、当時の親は学校に洗脳されており、「学校の勉強だけで国公立大学に行ける」というあり得ないことを信じていたから、「あんたが悪い」と言われることは間違いないし、成績が悪いのがバレれば塾をやめさせられることになっていたから、塾以外居場所のない私には行くところがなかった

だから、嘘をついて逃げるしかなかった。

 

実は、この時のこの苦しみが、後に私を高校教員になりたいと思わせてくれたものだった。

 

理不尽から生徒を守りたい、せめて学校では幸せになってほしい。

 

これが、私の高校教員の志望動機だった。

 

そして、センター試験が終わったあとも、私のクラスは迫害を受けた。

学年末テストが終わって、自由登校期間になった時も、補習を1日中詰め込まれた。

しかも、どこか大学に受かるまで来い、と…。

でもこの頃、自分勝手な担任や、色んなことを抑えつける学年団に、私は抗う力さえ残っていなかった。

数学の勉強もできなくなった。無気力で、家で寝ることしかできなかった。

 

もう、学校には行けない…。誰か助けて…。寝ながらそんなことを思った。

その後私は2週間くらい学校に行かなかった。卒業式の前日の予行練習の日と卒業式のみ学校に行き、地獄の高校をあとにした。

今思うと、0回目の不登校だった。

そしてその後、1年間浪人して大学に入った。

 

だから未だに受験生を見ると、かわいそうに思えてきて胸が痛い。

教員なのに、密かにそういったトラウマに苦しんでいた時期もあった。

 

さらに、私には、1つ後悔していることがある。それは、

「学校が異常だ」ということを、事細かに親に話さなかったことだ。

 

大学に入った後、私は親に当時のことを話す機会があった。すると親は憤っていた。

「学校に騙された」と言っていた。

私の母校はそんなに能力の高くない生徒が多かったため、保護者も知恵のある人は少ないように見えた。

だから学校はそれをいいことに親たちを洗脳し、学校絶対信者にさせていたのだ。

 

そのことも知った親は学校に怒っていた。だから聞いてみた。

「もし、あの時その話をしてきたら、どうしてた?」

すると、意外な答えが返ってきた。

 

「一応学校がやってることだから、補習とかは形だけ行かせて、塾は辞めて心を休ませて、卒業したらすぐにまた塾に入れ直して浪人させたよ」

実は、私は浪人したいと話を持ちかけたときにもその真実を語らなかったので、両親、特に父親と大喧嘩になったのだ。最後は、母親の助けが入って、了承してもらえたが、今思うとこの時が真実を打ち明けるチャンスだったと思う。

常識的な父親だ。だから、話を聴いたらきっと、父親も怒っただろう。ひょっとしたら、怒って、学校に抗議してくれたかもしれない。でも、そんなことも話せなかった。

 

数々の無能な教員たちのわがままで、ここまで生徒が追い詰められる。

これが自称進学校、もとい自称学校の恐ろしい真実の姿だ。

時折、TwitterやYahoo知恵袋で、自称進学校に通いながら苦しむ高校生たちの声を聞く。

 

自分がかつて成功したやり方をやりたいから、進学校みたいな教育をやりたいから、自分が難関大学に合格させたと自慢したいから、と、塾のようにきちんと生徒に合った授業をする機関を嫌い、学校だけで生徒を閉ざし、名聞名利に狂った教員が数多くいるようだ。私の母校の教員もそうだった。

しかも、私の頃は、当時話題だったAO入試推薦入試一切受験させない、一般のみで行け、という、時代についていかない学年主任の方針が取られ、各種専門学校の受験も、「金にならない職業につくなら大学に進学して就職しろ」と拒まれた。

こんな束縛だらけの学校に、誰が行きたいと思えるのだろう。

そして、今受験を控えている受験生や、電車の中で単語帳や参考書を広げて勉強している受験生を見ると、胸が痛んで仕方ない。

 

私の傷は、職場のパワハラによるものと、過去のいじめが主であるけど、実はこういったこともトラウマになっている。

だけど、そのことがきっかけで、前の吹奏楽部ように、複雑性PTSDの発作のようなことが起こらないように願う日々である。

 

受験生の皆さん、どんなに忙しくても、親に文句言われても、理不尽されているなら真実は絶対に親に言いましょう。もしくは、信頼できる大人に言いましょう。そして、学校が合わないと思ったら、素直に自分の心に従っていいです。合わせる必要はないし、自分の勉強のやり方があるなら、やりたいことがあるなら、そのまままっすぐ、突っ走ればいい。

センター試験や大学に受かるだけが人生じゃないから!!!

 

ではまた(^^)v