荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

カコガタリ 暗闇の浪人生

さて、私の受験生のときの話です。今回は浪人生のときのお話。

 

今日はセンター試験ということ、そしてこの浪人時代のセンター試験直前、私はひどい風邪を引いていました。

なので、風邪を引いている今、あの時のことがふつふつと思い出されてきた。

 

 

訳の分からない管理教育と、横暴な教師陣の理不尽で精神的にボロボロになったまま、私は高校を卒業しました。

母校を出た時は、もうあんな学校行かなくて良い、塾に関して誰も文句言わない、解放された!という気持ちですごくホッとしていました。

でも、その安心感は露と消え失せた。

なぜって、親が「一年で結果を出せ」とかなり高圧的にプレッシャーをかけてきたから。

更に、浪人生は、実は学生ではありません。酷な言い方をすれば無職、ニートです。

塾の授業受けたり、自習室で勉強している時は、辛うじて受験生とか予備校生と言えるけど。

学生じゃ無いから、地方の国公立大のオープンキャンパスに行こうと思って、教務に学割申請しに行った時、学割が発行できないと言われた時はニートの悲しみを知りました。

映画とか行っても学生割引使えないし、電車の定期券も学生料金ではなかったような気がします。

そんな現実で、自称学校にボロボロに壊された、本来しっかり学ぶべき学問に、私はがむしゃらに当たった。

さすが河合塾。しっかり説明を聴けば分かることが多かった。これくらい学校も落ち着いて授業をすれば、できない生徒を大量に量産することは無かっただろうに…。

難関大学に受からせたい、難しい講義をして進学校と同じことをやりたいという、自身のエゴが蔓延った学校に怒りがほとばしった。

そんな中で私は、私が恋した先生に、数学についてびっちりしごきを受けた。

彼は家が数学者の一族なので、数学のことに関しては人一倍厳しく詳しかった。

そのかいもあって、私はだんだんと数学が解けるようになってきた。その教え方は、ただ問題を解くための技を身につけるのではなく、物事の本質について迫り、本質から問題の本心を読み取って解くというものだった。

そして、この時に受けていた他の物理の先生の授業もそんな感じだった。

本当に教え方が上手い先生は、物事の本質や法則について教え、その本質や法則から問題の解き方をルーチン化して刷り込ませる。自分が教員になって分かったのだが、高校数学や高校物理は旋盤で部品を作る工程のように、作り方(解き方)が決まっている。だから、物事の本質、法則を掴んだ上でその工程や機械の操作方法さえ覚えれば、モノはできてしまう。だから、「〜大学の数学が…でー」とか言う人は今の私にしてみれば片腹痛い。

かと言って、じゃあ今の私が高校数学や高校物理が容易く解けるかと言われれば、「工業機械の専門だから、忘れちゃった♡」のだけど←

実はこの教え方、後に私も機械科で講師として機械設計や原動機を教えた時に使った。

更に学生時代、自分が勉強した時にもこの方法は、必要最低限の勉強だけで単位が取れた奥義にもなった。

 

浪人して、慣れ親しんだ落ち着いた環境になって、色んな教科もできることが増えてきた。けど、ひとつだけ増えなかったものがあった。

それは、友達。

高校時代、私には友達がいなかった。

私の母校は人間のタイプが二極化していて、陰湿で、仲間内では騒がしいアニヲタ、要は腐女子とかジャニーズファン、ジャンプ好きのヲタクか、校則破り放題のヘアメイクがっつり、学内の男取っ替え引っ替えのギャルしかいなかった。男子には興味すら沸かなかった。

私は、数学が大好き、科学が大好きなごく普通のリケジョで、姿出で立ちも、外から見ればごく一般的な、普通の女子高生だった。ヲタクやギャルにはなれなかった。しかし、その学校には「普通の女子高生」が異質な存在に見えたようだ。どちらにもなれない私は、ハブられた。

でも、私は別に良かった。誰かと喧嘩して無駄に傷ついて勉強できなくなるなら、一人のほうがマシ、と。

 

その考えは浪人生になっても続いた。

だから私は塾で友達を作らなかった。馴染みの先生にしごかれに行くか、たまに教務と面談する以外は、誰とも喋らなかった。家にいても、親とは喋らなかった。1週間、口を開くときはご飯の時か歯磨きの時、なんてのもよくあった。当時の情報入手は2ちゃんねる河合塾スレッドだった。娯楽は自分のノートパソコンを開いて、YouTubeのおもしろ動画や東方(ゲームの方)の動画鑑賞や昔吹奏楽部で演奏したり聴いたりした吹奏楽(クラシックのみ)、テレビのバラエティ番組だった。今見ても根暗なインキャだなこれ。本当は、とても寂しかったのを心の奥深くに隠して。

友達は大学に行ってから作ろう。そう決めて、勉強していた。

 

でも、12月、クリスマス辺り。私は風邪を引いた。喉から来る風邪で、鼻水もズルズルしながら勉強していたが、悪化。まさかの胃腸風邪になって、クリスマスケーキが食べられなかったのを覚えている。

センター試験までには何とか回復したものの、その後の国公立大後期試験の時に、また熱を出して寝込んだ。激しい咳と受験のプレッシャーでひどい不眠症になった。その、弱りきった心身で最後の戦いに挑んだ。

この時、後の母校になる大学は合格していたが、私大だったため行きたくなかった。何としてでも国立に行きたかった。

 

実はこのとき受けたこの国公立大は、何と岐阜大学だった。

後に自分が就職する県にある大学を受験するなんて、その時から私は岐阜県に縁があったのだろう。というのはちょっと変かもしれないが、実は私の先祖は今の岐阜県美濃加茂市に住む武士だったらしいので、それくらい言っても良いかなと思うw

しかし、その結果は不合格。勿論、自分の勉強の仕方が悪かったからだと思う。だって自閉症スペクトラムだもん。

一般的に、自閉症スペクトラムの人は、自分の興味あるものに関しては並大抵ではない興味・関心・記憶力等を持つ。しかし、興味のないことにはほとんど触れない。これが悪さした。

だけど、自分の興味のない教科を勉強できたら何かご褒美を用意するとか、遊びに行くとかすれば良かったな〜と今になって思う。だって、当時の私は1週間すべての日を勉強に費やし、遊んだりオフの日を設けるということをほとんどしなかった。要は、頭を休めることをしなかったため、最後に疲れが溜まって出たのだ。

なので、遊びやオフの日の重要性はここからも伺える。

 

だから、正規職員になった今、こうやって土日は遊びたい放題してるんだけどね!!

遊びすぎて、今、全然当時の勉強なんかできないんだけどね!←多分今の私は浪人時より馬鹿になったよ!!

 

センター試験を受けているすべての受験生が、いつの日か笑顔で遊ぶことができる日が来ますように(*´∀`*)

そして、センター試験で人生は決まらないよ!大学で人生は決まらないよ!自分の決意で人生は決まる!

どんなに高校のとき勉強ができなくても、その後で勉強すれば、何にだってなれる、諦めなければ大丈夫!!不登校教員から受験生に、密かにエールを送ります。