荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

結井はなぜ不登校に?vol.0 補足編

遅い時間に更新です。(だから朝起きれないんだって)

えー何を更新するかというと、さっきのこの話。


結井はなぜ不登校に?vol.0 追憶 - 不登校の日常

 

私が高校時代、学校のやり方に違和感を持って、それが折り合いつくことなく不登校になってしまった、という話ですが…。

実は、私が学校に違和感を持ったのは、早朝補習や暴走する補習授業、生徒を顧みない教員、それがすべての原因ではないのです。

 

では、この他の何に違和感を持っていたのかというと…。

 

管理教育、です。

 

管理教育とは、簡単に説明すると、だいたい70年代から80年代頃、学校が荒れに荒れまくっていたのを抑止するために、厳しい校則を以て生徒たちを抑えようとした教育です。

愛知県内では、これがかなり盛んで、特に尾張地方の新興住宅地が多く点在する地域や三河地方で行われていたそうです。

今は昔ほど校則は厳しくありませんが、私が通っていた高校のあるエリアは、未だに管理教育の文化が根強く残る地域でした。

しかも、私の折伏の親(私の折伏の親は愛知県内の工業高校の教諭です)曰く、愛知県内は某国立大学の権力が非常に強く、そのOBたちが未だに愛知の教育を牛耳っているため、保守派が強く、新しい文化にアップデートすることができないのだそうです。

 

そのため、私の母校では、変な管理教育が行われていました。

今でも忘れないのが、高校に入学する前の合格者オリエンテーション

学年主任がこう言いました。

「ダメなものはダメだからな。○高生としての自覚と誇りを持って…(ry」

 

「ダメなものはダメって、そりゃあそうでしょ!何でそんな事まで言われなきゃいけないの?」

ものすごく衝撃を受けました。

また、服装のことについても口やかましく言われたり、その他にも色々、その年代の普通の高校生なら絶対に分別のつくことまで学年集会で指導されました。

今でもドン引きしているのが、高2の文化祭が終わった後、武道場に集められて、

 

「お祭りは終わった」

とわざわざ学年集会で学年主任に言われたことです。

 

いや、それくらい、頭の切り替えすぐできるよ…(;´Д`)

 

私は、そういったところにもウンザリしていたんです。

しかも、何かと生徒の上に立ちたいのか、上から目線な教員や、酷いと生徒を幼稚園児のように見下したり、馬鹿にしたりする教員もいました。

生徒を馬鹿にするなんて、教員失格じゃないの?誰か苦情入れないの?

当時の私にとって、そういう心無い教員たちの姿はとても衝撃的でした。

だから、そういった小さな不満や怒り、疑問が積もりに積もったのにあの横暴な進学指導が入ったので、私は不登校になったのです。

 

実は、私がその補習に苦しみだした頃、母親から、「お父さんには黙っておくから、精神科に行く?」と尋ねられたことがあります。

その時、私は夏休みの補習が始まる直前で、学校に月曜から土曜日(補習は土曜日も1日中ありました)まで拘束されて、塾の大好きな先生や先輩たちに会えなくなるのが怖くて、少しおかしくなっていたんだと思います。

今思うと、この時、精神科にかかっておけば良かったと思います。

そして、親にも学校の横暴さをきちんと話すべきだったと思います。この後悔は10年経った今でも拭えません。

多分、病名は今の不登校と同じ、適応障害だったでしょう。

でも、ひょっとしたら、主治医からドクターストップがかかって、学校の横暴さから逃げることができたかもしれません。例えば、学校を休学したり、定時制高校へ転学したり、学校を辞めて、家で休みながら、高卒認定試験を受けて、それから大学受験に臨んだりする、など。

今の私だったら、定時制高校へ転学したと思います。

 

でも、その時は、成績が悪いのが何かの拍子にバレて、塾という居場所を失うのが怖かったから、「行かない」と答えました。学校の横暴さも黙っていました。

 

でも、その結果、「私の能力がないから行ける大学がない」、と親に思われてど叱られ、浪人するかしないかで大喧嘩して精神が狂い、部屋の中で大暴れ(本当にしました)することになってしまったので、親には然るべき時に真実を語らなければならなかったなあ、と思います。

でも、真実を語ったら、すぐに親が理解してくれたかと思うと、それはそうではなかったと思います。

 

実はその後、最初に勤めた学校で不登校になったことの理由を、嘘偽りなく親や色んな人に語りはしましたが、その時にはあまり信じてもらえませんでした。

それは、正しいからこそ、真実だったからこそ、受け入れてもらえなかったのです。

(実は、学会の御書にもそういう話があります)

しかし、その話がつい最近、やっと受け入れられました。

11月に、その学校の職員が、学校の職員室で自殺したからです。

「学校に騙された。あんな酷いところだとは思わなかった」と母親に言われたり、「先生が話していた通り、いや、想像以上の恐ろしい学校です。よく頑張ったね」と、岐阜の講師時代から親交のある先生に言われたりしました。

 

だからきっと、あの時も、理解してもらうのには時間がかかったと思います。

でも、誠実に対話を重ねていけば、必ず理解してもらえる時が来る。

 

母親やその先生との対話を通じ、そんなことをじんわりと確信する結井でした。