荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

私の活動体験vol.19 私だけの道筋

こんにちは。連日暑くて到底ブログなんて書けたもんじゃないと思いますが←

更新です。今回、初めて中部教育部長と懇談させていただき、今までにない自分の可能性に気がつくことができました。そして、何より「誰も置き去りにしない」という池田先生の昔からの教えを変わらず実践している教育部長と幾重にも共感のチェーンをつなぐことができたのも、本当に感謝の思い出いっぱいでした。

それでは、その懇談の詳しい内容を…どうぞ!!

 

中部教育部長は、もともと私のことを教育部の研修で知ってから、ずっと私が悩んでいることを気にかけていたそうです。そのことはもともと知っていたのですが、なかなか話す機会がなく、更には申し込んだ教育相談がコロナの自粛で中止になり、相談したくてもできないという状況が1年近く続いていました。

その中で、急遽先輩が名古屋に教育部長がいらっしゃるという情報をご本人から聞き、私に教えてくださったのです。藁にもすがる思いで教育部長のところへ行きました。

そして、今抱えている不安、今の現状、これまでの怖かったこと、つらかったこと、ありのままに打ち明けました。

そして、なぜ教員を目指したのかを問われたので、それもありのままに話しました。

私がなぜ教員になったのか、それは、

 

理不尽や学校不適合などで学校に行きたくない、学校が嫌だ、合わないと苦しんでいる子どもを助けたい

 

からなのですが…。更には高校生のときに受けた未曾有の理不尽もクラス単位のパワハラも話しました。ちなみに、なぜここまで徹底してありのままにぶつけたかというと(ちょっと宣伝になるけど)中部教育部長は、中部で数々の家庭懇談会の活性化や不登校・引きこもりになった子どもたちの蘇生のドラマを起こしています。その活動は、昨年秋に全国の教育部研修会で講師を務め、さらに学会から何かの賞を頂き、聖教新聞の一面に載ったゴッドオブゴッドティーチャー(←言い方ダサくてごめんなさい)なのです。

中部の教育部の人なら誰か分かるよね!!察して!!←分からなかったらまじでやばいぞ

 

そのゴッドオブゴッドティーチャーの、私に対する答えは…。

 

適応障害になって良かったんじゃないの?(゚∀゚)」

 

は?!(・・;)

 

適応障害というのは、

要は適応するための環境に障害があるから適応するできない、つまり私は正常な人間ですというのが出ただけなんだよ。良かったじゃないか、正常な人間で(^^)

もしそんなヘンテコな学校に適応していたらもっと性格悪くなっていたと思うよ?

 

確かに、言われて今まで病気になった学校のことを思い返してみました。

最初の学校は女性差別・管理職の隠ぺい・各種ハラスメントが渦巻く、古き悪しき学校でした。

そこに適応していたら、私は平気で嘘をつく人間になっていたでしょう。

 

次に病気になった学校は、まだ新設校だったこと、進学に重きを置く工業高校だったため、教員たちが名聞名利に狂い、工業高校で行われる教育として本当に大切なものを失った学校。さらに私がいた学科は、自分の思い通りにならないと人に当たる、悪い者・弱いものいじめを複数の職員の前で平気でする、目立ちたがり屋(数人普通の人もいましたが)、の多い異常な学科でした。そこに適応していたら、私は嫌なことがあると生徒に当たり散らして発散し、変に目立とうと無駄な仕事をしていた最悪な働きぶりをしていたと思います。

 

最後に、今の学校の学科は、自分勝手な人が多く、相手が今どんな状態なのか・相手の裏にある状況や相手の気持ちを考えずに言いたいことを生徒や職員に言う人や、自分の世界に入ってしまう人が多いところでした。

そこで適応していたら…。私は自分勝手で、今スローガンとして掲げようとしている「影の子どもたちに目を向ける」なんて考えもせず、感じの悪い先生だと思われていた、というか、さすがにここまでくると想像を絶します。

だから、そういう悪い環境に適応できない、正直な正常な人間だったというのを気付かせていただきました。

 

さらに、私の自閉症スペクトラムのことに関しても、自閉症スペクトラムは男性に多い発達障害で、理系に特化した子や芸術系に特化した子が多いから、今後結井さんのような先生が必要とされると思うよ」「この手の発達障害は、なっている当事者にしか分からない。机上の理論だけ分かっている人ではダメだ。今は発達障害の子どもも増えているから、発達障害を持った先生というのはすごく使命がある」と、全肯定されました。主治医でもそんなこと言わなかった( ゚д゚)

 

さらに、理系か芸術系に趣味が傾くことについて、私自身も今まで数学や物理、機械工学と好きなものが理工系に傾いたり、クラシック音楽やジャズ、イージーリスニング、バレエといった芸術が好きだったりするので、

すべてこのためだったのか!と目からウロコが落ちました。

 

何も無駄はない。全てを活かしきっていけるのがこの信心です。信心する前のことまで活かされるのを、この時改めて確信しました。

また、やはり影の子どもたちや苦しんでいる子どもたちを救うのが私の使命なのだ、とも。

 

今まで私は異口同音に「人と関わらない研究職が良い」と言われてきました。

でも、研究職に就きたくても、そのためには大学院に行く必要があります。私はそれを経済的な理由で泣く泣く諦めたので、「研究職に就いた方が良い」という言葉には、無責任さを感じます。

しかも私は最初、機械系の大学院を目指していたのですが、大学院を出たあと何をしたいかビジョンが無くて、ずっと困っていました

どこかの研究所に勤めるにしても、今の日本の研究職は果てしない競争社会・男社会です。そして、科学技術に関して日本はほとんどお金を投資してくれないので、研究者たちは切り詰めた生活をせざるを得ない。しかも機械系となればそれは尚更。

その中で、人脈もお金もない私には何もできないし、経済的にも非常に難しい問題があります。

だから、研究職にはならないと思います。その代わり、そういった専門的な知識を得ることだけは怠らず、その知識を使って、目の前の子どもに貢献する。それは続けていきたいと思います。そのために、日々色んなものに目を向けて、色んなものを吸収していきたいと思います。

そのための自閉症スペクトラムであり、変に傾倒した趣味だったのかと、自分の運命が見えた瞬間でした。

 

対話を進めていく中で、中部教育部長は今まで私が見てきた先生とは違って、私に高圧的な態度を取ることも、変な自慢話をすることもなく、本当に私を包み込んでくださっていました。今まで私が暗闇の中で見ることができなかった、影に埋もれていた光をまざまざと見せてくださいました。

自分が今後必要とされる教員、要は先駆者だなんて思ってもいませんでした。

 

さらに、復帰プログラムはその学校に適応させようとするものだから、適応なんてしなくて良い。自分が必要だと思うことをやれば良い。そのための復帰プログラムだよ。

大学院に行きたいなら、発達障害や特別支援について勉強できる大学院を探せば良いじゃないか。

その言葉で、私の心に再び火がつきました。

 

発達障害や特別支援について、勉強したい。精神医学を学んで、自分の状態や母親の状態、発達障害とは何かを勉強したい。そして、それにどう対応していけば良いか、学びたい。

 

それが今の私の夢になりました。

 

正直言って、今の体調はあまり良くありません。復帰プログラムを急に1ヶ月早められたことによる精神的ダメージは大きく、前より鬱っぽくなって、動けない時間も増えています。

でも、動けるときは自閉症スペクトラムや精神医学など、興味のある本を買って読んでいます。学校はまだ行きたくないけど。

でも仕事を辞める気はありません。

なぜなら、私は私が自分で気がついた使命を果たしてみたいし、ますます専門分野に関して知識を深めて勉強したいからです。

命がけで今の職に就いた未練もあります。

だから、自分がいつか

「あー使命とかいうやつやりきった〜」と思えるその日まで、この仕事を続けていきたいと思います。

 

また、私はこの対話を通じてあることを確信しました。

実は中部教育部長、本当は教諭の初任者研修で講義を行っているほどの偉い人物です。

普通の教諭が気軽に一対一で対話、なんてまずできない方です。

また、彼の教育部での講義は、お互いが学会員だからこそ本心でガンガンにありのままの話が聴けるし、やはり教育が学会の核になっているだけあって、常に教育の最先端の話を聞くことができます。

私は、これまでの職場で色んな初任者を見てきましたが、彼らが受けている研修の内容を聴いて、「めんどくさそう」とか、「内容が胡散臭そう」「内容が古そう」とか思ってしまっていて、とても自分も受けたい!と思える内容ではありませんでした。

だから、私が今まで教諭の採用試験に落ちまくり、初任者研修の無い実習助手に受かったこと。

それは、

学会教育部という教育の最先端かつ最前線の中で研修を受けるためにあったのだと。

 

意味のない研修は、正直自閉症スペクトラムの私には無駄な時間にしか思えないので、自分に正直な私は教諭になって初任者研修なんてやろうものなら、とんでもなく不真面目な初任者だったと思います。もしくは、もっと心が壊れていたと思います。

 

私に合った研修、私にこそなし得なければならない使命、そのために今までがあったのかと、この時すべての物事が一気に繋がって、納得できました。

まだまだ体調・精神面での闘病は続きますが、諦めずにゆっくり進んでいこうと思います。