荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

私の活動体験vol.21 戦う、その意味は

今年1年の学会活動を振り返ってみると、今年は、「立正安国論」を多く目にしたような気がする。

立正安国論とは、1260年(文応元年)に日蓮が時の権力者、北条時頼に宛てて書いた手紙のようなもの。皆さんも、学校の社会科の歴史の授業や、日本史の授業、単元で言えば中世時代辺りで習う、「日本の仏教の歴史」(超アバウトでごめんなさい)で一度は聞いたことがあるだろう。だから、立正安国論は、学会が作ったのではなく、日本の歴史にきちんと遺されているものなので、学会員でない人も、安心して見て欲しい。

 

日蓮が生きた時代は、まさに悲惨の2文字で表現されるに相応しい時代だった。

国のあちこちで大地震や大風、洪水などが発生し、その影響で農作物は取れず、人々はバタバタと餓死していく。さらに、そこに追い打ちをかけるように、毎年のように疫病が流行り、人々は飢餓だけではなく疫病にも苦しんでいた。その、先の見えない苦しみから救われたい、と人々はあらゆる方法、宗教にすがって祈祷をしたが何も効果が得られず、ただ苦しんでいるばかりだった。

これは、今のコロナ禍で苦しい世の中にも当てはまるのではないだろうか?

 

今年は、変異株が続々と生まれ、感染者は昨年にもまして増え続け、医療機関は恐ろしいほど逼迫した。

私が普段お世話になっている精神科病院でも、入院病棟でクラスターが発生し、一時外来の診察がストップしてしまったことがあった。主治医に会えない、というのは、患者として心細いものだった。体調が悪い時、不安な時、主治医に会うだけで気がほぐれることがある。それが寸断されるということは、ある意味致命傷である。

さらに、休職中の私には、主治医に書類を書いてもらわなければ自分の生活が成り立たないということもあったので、主治医は大切なライフラインでもあった。

それが寸断されたことで、私の中の自粛に関する意識は変わった。それと、NHKのとあるドキュメンタリー番組を見て、影響されたのもある。それまでは、「オリンピックはやるのに、自粛はさせるのか」という考えもあったけど、きれいに払拭された。

実は、これが現代でいうところの「立正安国論」なのだ。

 

そもそも、立正安国論がどんなことを論じているのかと言うと、「世の中の乱れ方とその対処法」である。

日蓮曰く、世が乱れるのは、まず、誤った思想が世に蔓延ることが原因であり、誤った思想のまま生活するから、本来世の中を守ってくれる諸天善神が離れていって、魔や鬼神が続々と襲いかかってくる、のだそうだ。

当時の「誤った思想」というのは、代表例として、法然が説いた浄土宗が挙げられる。

阿弥陀如来という架空のものを信仰すること、今生きている現世でどうにかしようとするのではなく、阿弥陀如来の力で死後、幸せにしてもらいたい、と祈ることが間違いなのだそうだ。(すっっっごい端折りました。ちゃんと知りたい人は立正安国論読んでね←)

これを現世に置き換えて考えると、どうだろう?

 

現代では、そこまで宗教信仰に励む人は少ないから、全体的な世の中のものの考え方だろうか。

私は、個人的に、「自分さえ良ければ他人なんかどうでも良い」という考えが蔓延っているからいけないのではないかと思う。私自身も、この「自分さえ良ければ他人なんかどうでも良い」という考えに苦しんだ過去を持つ。でも、この立正安国論は、はるか400年以上も前に書かれたものなのに、「自分さえ良ければ」という考えに警鐘を鳴らし、厳しく批判している。

私は、今年、女子部の会合でこのことを学んだ時、頭に雷が落ちたような衝撃を受けた。

今までは、私が「自分さえ良ければ」という考えに怒りを持っても、親や周りの人たちは、「それが世の中だ」「長いものに巻かれたほうが生きやすいんだから」としか言わなかった。

確かに、何かに反論するには、それ相応の確固たる思想と、その思想を最後まで持ち続ける責任と忍耐が必要だ。

だけど、私だって心折れる時や疲れる時がある。それでも反論し続けられるのかと聞かれれば、答えはNOだ。だけど、信頼していた友達に裏切られて、悲しい思いをしたり、寂しい思いをしたり、未だにトラウマに苦しめられている身としては、「自分さえ良ければ他人なんかどうでも良い」という考えにはなれないし、その考えが嫌いで憎くて仕方なかった。

それを、はるか400年以上も前の人が肯定していたこと、そして、私がそのことを話すと、考えを受け止めてくれた女子部のメンバーがいたことが私は嬉しかった。そこで、ようやく長年の傷が癒えた気がした。

 

「オリンピックはやるのに自粛はさせるのか」という言葉は、一見すると、確かに正論のように見える。

だけど、オリンピックはやっても、会場外の私たちが自粛を頑張ることで、会場外の誰か、は守られるのではないだろうか。オリンピックに参加している人は守れなくても、参加していない人同士は。そして、その人、というのは、友達だったり、自分の会社の人たちだったり、かかりつけの病院のスタッフや、近所のスーパーの店員さん、行きつけのレストランの店員さんなど、少なくとも必要最小限、自分にとって、なくてはならない人たちな気がする。

オリンピックはやっても、自粛をしなければ、友達が感染して命の危機に瀕するかもしれない。かかりつけの病院に行けなかったり、スーパーが閉鎖されたり、好きな時にレストランに行けなくなって、不便になるかもしれない。

学会が言う「眼前の1人を大切に」とは、このことではないだろうか。

そして、これは私の考察になるが、今年1年、学会がやたらと立正安国論を取り上げたのは、まさにこの「オリンピックはやるのに自粛はさせるのか」という屁理屈を破釈するためではなかったのだろうか。

だって、立正安国論にはこうある。

 

汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か、と。

f:id:rinkablog:20211231043533j:image

 

f:id:rinkablog:20211231032757j:image

 

 

 

 

 

 

 

不登校の日常Vol.81 抗えぬもの

今年の仕事は今年のうちに終わらせたい、そう思ってやっとタブレットとキーボードの前に向かっています。

私の体調は、「調子が良いな〜」と思っていたらある日突然急降下して動けなくなる、という謎のサイクルになっているので、いつ動けなくなるか予測が難しくて対策が練りにくい。それに、ブログの更新も、本当に気力があるときしかできないから、継続して書くということも難しい。体力と気力を一定に保って、持続可能な身体にしたいものですって何かSDGsみたいですけど笑

 

持続可能な体力と気力が欲しいのは変わらないです。

朝普通に起きてご飯を食べて、職場に行って仕事して帰る。この行動がどれだけ素晴らしいことなのか、不登校を長くやってるとめちゃくちゃ感じる。

もちろん、職場には人を振り回してることに気づかず、自分勝手な行動ばかりして気が滅入る人たちが多くいて、その人たちとどう付き合っていけばいいか分からなくて悩むことはあるけど。それでも、毎日職場にいけば、生活と余暇を楽しめるだけのお金は手に入るわけで。

だから、仕事はしたい。でも、身体が言うことを聞かない。

今年の9月に、2回目の復帰プログラムをやったときもそうだった。

本当は学校に行きたい、仕事したい。

でも、身体は言うことを聞かなかった。それに、たった2,3時間の労働でも身体は悲鳴を上げ、家に帰ってきたらすぐに頭痛薬飲んでベッドに倒れ込んでしまって、起きたらもう夜。

そこから色々家事とかやるけど、プログラムでヘトヘトになっているので、正直家事はあまりできなかった。

それで就寝、と思って寝ようとしても、今度は不眠に悩まされて、全然眠れない。

そのせいで朝起きれない。普通に仕事していた時には絶対遅刻なんかしなかったのに。遅刻常習犯になってしまって。そのことが悲しかったし辛かった。

だけど、仕事の内容は、実習助手っていうポジションのおかげで、色々な授業準備に追われることなく比較的自分のやりたいように過ごせたんじゃないかな、と思う。それに、管理職が色々気遣ってくれたし、何よりも発達障害者支援センターの支援員さんが毎日のように電話をくれたことや、教育部のお姉さまが毎日のできごとを連絡しあおうねって言ってくれて、色んな人に支えてもらっていたのはありがたかった。

でも、身体は言うことを聞いてくれなくて、気がついたら、原因不明の腰痛と腹痛に悩まされていた。

腰痛は、ビジネスバッグが重いからかなって思ってたけど、かばんを下げていない時でも腹痛と腰痛が交互に来るのでそのせいではないっぽかった。だけど、腹痛がひどすぎて、最後は吐き気までした。

結局のところ原因は、ストレスとそれの対処で飲んだ薬が多すぎて胃が荒れた、っていうものらしかった。

そしてそのことに私が気づいた時、復帰プログラムもドクターストップがかかってしまった。

まあ、職場に遅れていった時点で復帰プログラムはアウトだったらしい・・・。

悔しかった。やる気はあって、サボろうなんか微塵も思っていないのに、学校に拒否反応を示す身体が嫌だった。

でも、主治医に厳しく咎められて、私は復帰プログラムを中止せざるを得なかった。

教育部の先輩は、「頑張ったね、ドクターストップがかかったってことは、限界までキチッとやりきれたってことよ!」って言ってくれたし、発達障害者支援センターの支援員さんは、「1ヶ月絶対に投げ出さなかったのは誇っていいし、みんな結井さんのことは高く評価していますよ」って励ましてくれたけど。

応援してくれる人、協力しようとしてくれた人たちに報いれなかったことが、今年一番悔しかった。

 

【追記】

動かない身体に苦しめられた復帰プログラムだったけど、実はこの最中、奇跡的にあるコンサートに参戦できました。

世にも珍しい、広島ウインドオーケストラの!!

広島ウインドは、コンサートを開催すること自体めっちゃ珍しい楽団なのに、それがまさか!!名古屋でコンサートをやるとは!しかも幸い復帰プログラム中だったので時間もぎりぎり間に合って、もう千載一遇の大チャンス!!

ってことでこの日は生き返ったよね。

生の科戸の鵲巣、まじで泣きそうになりました。


f:id:rinkablog:20211220222734j:image

推しと好きな音楽は命を救うよね、まじで。

あと、ついこの間、NHK交響楽団東京オペラシティでのコンサートをネット配信で見たんだけど、大好きなラフマニノフピアノ協奏曲第2番の冒頭聴いたら軽く泣いたよね。あとチャイコフスキーの悲愴も。

早く生でラフマニノフチャイコフスキー聴いて号泣したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不登校の日常vol.80 今後の予定

こんばんは。前回の更新からもう3ヶ月くらい経ってしまって、何の話から始めれば良いのか正直分からないですが・・・。

取り敢えず結井は生きてます。かなりギリギリの状態ですが。

でも、こんなに放置していたのにも関わらず、アクセスしてくれたり読者になってくださっていたりする方々がいて、感謝の思いでいっぱいです。本当にありがとうございます。

さて、今まで放置してしまっていた分、今後いくつか記事を更新しようと思います。

①復帰プログラムの件

②同人誌弥(いよいよ)のこと

③学会教育部教育実践記録のこと

マルチ商法にハマった友達のこと

⑤①に絡めて現在のこと

 

以上です。

 

頑張って書くので、ぜひ見に来てください。アクセスお待ちしています(*^^*)

 


f:id:rinkablog:20211220210328j:image

最近はお金ないし外に出る気もなくて、これまで週2で行ってたスタバにも足が向かない・・・。

スターバックスラテ飲みたいんだけどね。キャラメルスコーンも美味しいし(´・ω・`)

早くもどれ気力。

 

不登校の日常vol.79 マイペース・マイウォーク

こんにちは。ようやく更新です!

待ちくたびれて、もうこんなブログの存在なんか忘れられたかと思ってたんですけど、毎日アクセスがあって、プチバズなんかも起きてるみたいで、本当に感謝です!

いつも、読んでくださってありがとうございます!

さて、しばらく更新が滞っていたので、近況とかの報告から始めます。

 

最近の私は、復帰プログラムを再開しています。

前のずさんな復帰プログラムは一掃され、新しい管理職と、発達障害者支援センターの支援員さんと、ゆっくり歩みを進めているところです。

(↓↓↓ずさんな復帰プログラムについてはこちらを参照に↓↓↓)


不登校の日常vol.68 打ち切りは突然に - 荒ぶる女子の実習日誌

 


不登校の日常vol.69 やっぱりな - 荒ぶる女子の実習日誌

 


不登校の日常vol.76 見破る眼を開け - 荒ぶる女子の実習日誌

 


不登校の日常vol.77 甘い言葉にご用心! - 荒ぶる女子の実習日誌

 

 

しかし、まん延防止措置や緊急事態宣言の発令に伴い、現在私の勤める県では実習ができない状態なので、今は学校の職員室に行って、実習用の参考書をパラパラめくったり、図書館に置いてある小説を読んだり、手書き製図の復習をしたりと、わりと気ままに過ごしています。

授業はオンラインかつ座学のみなので、実習助手は実質、職場内ニート状態です。

でも、これで良かったのかもしれません。

私は新しい環境に馴染むのに普通の人の倍はかかるし、不眠、過睡眠、気圧変動による倦怠感、突発的なうつで、何もしてない人より体力が落ちているので、疲労もすぐ溜まりやすくて、通常授業の動きには、まだついていけないからです。

実質、朝起きられなくてぐったりしてることもザラですし、主治医からは、このままだと潰れる恐れがある、と言われています。

でも、この歩みを止めることはしません。だって、私のことを必要としてる人が、絶対にいるから。

現実、私は今、かつての教え子と共に人間革命の戦いに立っています。

事情があって仕事を辞め、フリーターになってしまったのです。もともと、私が指導していた時から閉じこもりがちな子だったのでよく引っ張り出していましたが、社会に出た後色々心配な要素を持っていたので心配に思っていたのですが、それが的中してしまったのです。

こういうカンだけは当たるんですよね…。あと、発達障害と睨んでたものが的中したりね。

それに、フリーターって長い目で見たら絶対に危険。歳をとったらワーキングプアとか生活保護どころじゃなくなって、どうなるかってのは容易に想像がつく。

だから、そういう貧困状態と閉鎖的な状態を脱するために、彼を再教育しています。

最近話題のSDGSじゃないけど、貧困層を助ける、質の高い教育を受けさせる、そして、誰も置き去りにしない。学会で学んだこと、学会に入る前から見てきたものを鑑みて、戦うことにしました。

そして、そのためには、まず自分も教育者として立たなきゃって思って。

この復帰プログラム、結構な長期戦になると思います。ましてやコロナが終息するにもまだ時間がかかるこの世の中だから、普通に復帰プログラムをやる人より、障害は大きいと思う。

だけど、これは私が実習助手として受かったから出てきた戦いであって、受からなかったらこんな大きな戦いをすることはなかった。池田先生とかみたいに、起こることを楽しむ、ってのはできないけど、起こることに感謝しながら、着実に歩を進めたい。そう思う最近です。

 

(追記)

最近、ホームベーカリーを買いまして笑

これまで手ごねでパンを作ってたんですけど、疲労と生地が全然まとまらなくて(ただの根性なし)、現代文明を召喚しました(*´罒`*)


f:id:rinkablog:20210918175431j:image

すると、何ということでしょう!

ホカホカふかふかのパンが!!自宅でも!∩(´;ヮ;`)∩ンヒィ~~~~~~


f:id:rinkablog:20210918175443j:image

 

念願のマリトッツオ、月〇バーガーを自作できました!(^o^)ノ イエー!


f:id:rinkablog:20210918175454j:image


f:id:rinkablog:20210918175503j:image

次はロールパンとかピザを作るぞっ。

 

不登校の日常vol.78 甘い言葉にご用心!2

こんにちは。長らくお待たせしました、連載再開です。

ブログだろうがエッセイだろうが小説だろうが「書く」というものは、めちゃくちゃ神経を使うので、1本書ききると心身へのダメージがめちゃくちゃ大きいんです。もうね、1本書いては死に、また1本書いては死に、って命削って書いてます。それに、抑うつがまだ寛解になってるわけではないので、他の人より力が出にくいため、書くのも一苦労なんです・・・と謝罪を兼ねて言い訳をば。あ、でも同人誌グループ「弥の会」に今年出すエッセイは書けたんだよね。出されたお題に対して自分のやり方で作品を作る、いわば「課題文芸」なんだけどね。小説は何とかリミットの8月20日までに頑張って仕上げるつもりでいます。それまで体調があまり悪化せず、今のままもってくれればいいのだけど。そうすれば復帰プログラムもやりやすくなるかもしれない。ちょっと頑張り時にきています。

 

さて、今回のお話は、ネットワークビジネス」にご用心!の会です。

ネットワークビジネスといえば、まあ世の中にはびこる色々有名な会社とかありますが、不思議なことに私はそれらとの縁は全くなく、平和に28年間生きてきました。テレビの通信販売でさえ、「こんなんお店で買った方が良いよ」「機械的に見て非効率だ」と冷ややかなツッコミを入れて終わる程度でした。しかし、そんな私でも、ネットワークビジネスの勧誘を受ける日が来てしまいました。

それは、大学時代からの友達が、今年の2月、私に連絡をくれたことがきっかけでした。

「明日xxのセミナーがあるんだけど一緒にどう?」(内容は一部変えてます)というもの。しかし、教えてくれたのは馴染みのないワードでした。気になって調べてみると、「うわ、これ思いっきりマルチ商法じゃん・・・」という会社のセミナーでした。そして、連絡をくれたのはそのセミナーの前日の夜。行われる場所も、今の私が住んでいる場所からかなり遠い場所でした。当時の私は、まだ傷病手当金がもらえる前で、経済的にかなりきつい状態でした。「そこに行くお金があるならスーパーで食料品買うよ!」というレベルで。また、体調もあまり良くなかったため、そこに行くために早起きする気力もありませんでした。なので、お断りしました。今思うと、自分、御本尊様にめっちゃ守られてたなと思います。経済苦も、病苦も、ものすごくしんどいものではあるけど、怪しいものから逃れるためには都合が良かったのかもしれません

しかし、そのネットワークビジネスは、手を変え品を変え、私に忍び寄ろうとします。

3月頃、同じ友達が、再び私に連絡を送ってきました。その内容は、「親の知り合いと動物占い兼お茶会に参加しようと思うのだが、出てみないか」というものでした。当時の私は、彼氏が度々結婚の申し出を断り、関係に何の進展もなくだらだら過ごしていたのに悶々としていました。だから、そのことを解決するために、占いで2人の関係を占ってもらうのもありかも、と思い、OKの返事をしてしまいました

しかし、今思うと、この時私は完全に魔にたぶらかされていました。この信心をしている以上、願いが叶わないものはないし、また叶えるための信心であり行学があるのです。目の前の困難に行き詰まって、楽な方に逃げようとしていました。しかし、その時の私はそれくらい追い込まれていました。また、復帰プログラムをめぐって管理職や両親と揉めていたことで、私の心はさらに弱っていました。そういう、心が弱っているところにおかしなものがすり寄ってくるのです。

何も知らない私は、占い当日、彼女との待ち合わせの場所に行き、彼女と合流しました。そして、彼女の親の知り合いとも。占ってもらう場所は、その「知り合い」の人の家でした。しかし、その家に向かう道中、私はある違和感を覚えます。私が占ってもらう占いの種類は、動物占いでした。でも、その人は四柱推命は初めて?」(後で調べてみたところ、四柱推命を一部かじった占いが動物占いだと言うそうです)と、友達が言っていたこととちょっと違うことを聞いてきたのです。また、私が今どんな仕事をしているか、とか私の身の上話になった時、その人は勝手に私の話をすり替えて、どんどん自分の話をしてきたのです。正直、この人おかしくないか?と思いました。

そして家に着き、私から鑑定が始まりました、が、この時点で私はイライラしていました。というのも、友達が、動物占いは有料だということを待ち合わせた後に急に話してきたからです。しかも3000円!!3000円もあったらスーパーで1週間分の食料が買えます。好きな本が2,3冊は買えます。しかも、私の財布にはこの時、きっかり3000円しか入っていませんでした。全財産急に取られるってそりゃムカつくよ。

渋い顔をする私に、友達や知り合いの人は「代わりに払おうか?」と言いましたが、私はもともと人との間に金銭面で揉め事を作りたくないので、拒否しました。でも、この判断が良かった!というのも、実はこの「知り合いの人」、何と2月に私が断ったネットワークビジネスの会員だったのです!!つまり、動物占いは、私をおびき寄せるための単なる「エサ」で、彼女たちの真意はネットワークビジネスに私を勧誘することでした。

(しかも、彼女は私にアポを取った際、ネットワークビジネスの勧誘についての連絡をしていなかったため、この行為は違法になります)

それに、「動物占い」とは名ばかりで、内容は就職や転職の自己分析となんら変わりはありませんでした。それに、占い師の話し方がとにかく下手。まだまだ駆け出しの実習助手だし、自閉症スペクトラムによって口下手、人とのコミュニケーションが苦手な私でさえ「何このヘタクソ!!」とブチギレそうになるくらいヘタクソな占い師でした。物事をしゃべるにも前ふりが長い。まず結論を言え。それから、人前でパソコンをちゃんと使えるようになれ。回りくどい訳のわからない話に、こっちが説教してやりたかったけど、それは大人として品が欠けるのでやめました。偉いぞ自分。それに、占って出た結果は、日頃から教育部の先輩たちに言われてることとほとんど一致してました。ので、別に何とも思わなかった。さらに、人を動物に例えて相性を占う、と言うので、彼氏のことも占ってもらいましたが、占い師はまさか私以外の人も占わされるとは思っていなかったみたいで、あたふたしていました。こんなのが人から金もらって飯食ってるとか、信じられない。

それに、占って出た結果は、だいたい私が考察していることと同じでした。それなら、教育部の先輩たちに話聞いてもらった方が信ぴょう性高いし、お金かからないからコスパ最高じゃん!!人生で初めてぼったくられたわ!

もう、逆に私が占い師を破折して、折伏してやれば良かったわ・・・。

と、怒り心頭で占いの部屋から出てきた私を待っていたのは、もっと信じられない光景でした。

 

その「信じられない光景」とは?!後半に続きます。

 

追記

最近は、サイクリングと低山登山にハマっています。


f:id:rinkablog:20210608163631j:image

岐阜県の低山を制覇したいけど、自転車で登山口に行くまでが大変・・・。だけど、登ってしまえば頂上でのひと時は最高です!


f:id:rinkablog:20210608163904j:image


f:id:rinkablog:20210608163917j:image

無印良品ルイボスティーうまいのじゃ〜

友達も、変なネットワークビジネスやるより運動すればいいのに・・・ね。

 

 

不登校の日常vol.77 甘い言葉にご用心!

こんにちは(゚∀゚)

気がつけば早いもので、もう3月も終わりですね…。私が住んでいる家の近くの桜も、満開が近いような気がします。

さて、今回のお話は、ちょっとした連載記事にしようと思います。

というのは、前回の復帰プログラムについて管理職と一悶着やった時から、何かと良くないことが立て続けに起こったからです。

 

(↓↓↓復帰プログラムを渋られた話はこちら↓↓↓)


不登校の日常vol.76 見破る眼を開け - 荒ぶる女子の実習日誌

 

それは、仕事の話だったり、制度の落とし穴だったり、友人に関することだったりします。

色々な人が私の周りで魔として襲いかかり、今もその疲労で精神的に疲れてしまっています。

幸い、内分泌内科で処方してもらっている漢方薬や、精神科で処方してもらっている頓服薬があるので、大事には至らないと思いますが…。

 

それではまず最初のお話。今回は、復帰プログラムをめぐった魔との闘争を、どうぞ!(゜∀。)

 

内分泌内科というセカンドオピニオンで、私の体調は、精神科のみに掛かっていたときよりは良くなっていました。

そして、管理職の側も、復帰プログラムに関しては前向きに取り組む姿勢を見せていました。

しかし、私の学科がいつまでも欠員を出してしまってはメンツが立たないという管理職の考えから、学校は、昨年秋ぐらいより、臨時採用の助手さんを雇うことになっていたのです。

私もその話は聞いていたし、代理の方には本当に感謝していました。

さらに、その代理の方は、私が正式復帰したらすぐに席を降りる、と仰ってくださっていたそうです。

 

それが、前回管理職と復帰プログラムを再開するか否か揉めた時に、管理職が言ったのが、「今の臨時採用の人を押しのけてでも途中で復帰したいのか!?」ということ。

そりゃあしたいわよ、何て言ったってこっちは生活がかかってるんだから。

(ちなみに臨時採用の助手さんは普通の主婦だったそうです)

ただでさえ毒親と距離を取らなければならないのに、1人で生活できずに実家に戻ることは、私にとって自殺行為ともとれる行為です。

それに、考えて欲しい。病気休職じゃなくても、例えば産休、育休、介護休暇と、休職の種類はたくさんある。その人たちが、やっと復帰の目処が着いたと思って「復帰したい」と言った時も、管理職は同じ言葉を投げるのか?

さらに、管理職というのは、人を管理するのが仕事でもある。そういった、途中から復帰してきた人たちと、これまで在籍していた職員が、お互い気持ちよく働けるようにフォローするのが管理職の仕事ではないのだろうか?

 

田舎で、都会の学校より生徒数が少ないため、モンスターペアレントや重大な生徒指導が発生しづらく、職員の異動もほとんどないため教員間のトラブルが無い分、管理職は、「平和」な環境に酔いしれていたのです。

でも、実際の現場は、田舎だろうが平和とは程遠いものでした。

しかし、それをどんなに管理職に訴えても、現場の人は、やり方が分からないからなのか、やることが面倒だからなのか、改善へと動く気配はありませんでした。その結果が今の私です。

それなのに、管理職は一方的な思い込みや、おかしな言いがかりで私を悪人に仕立てあげ、「今後のことについて、私の両親と話がしたい」と、学校に両親を呼び出すように言ったのです。

もちろん、復帰プログラムは、県の規定で「家族や配偶者の同意が必要」とされています。

が、最も重要なのは、「復帰プログラムは休職している職員の希望により実施される」のです。

さらに、復帰プログラムは個々に合わせたペースで行うことが大前提なので、平和ボケした管理職が面倒くさがるのも見えています。

そこで、こんなに「反抗」する私の両親がどんなふうなのか、ツラ見せろというのが管理職の考えでした。

また、日本の古い教育体制、「家庭の問題は家庭でしか解決できない」という、毒親量産に加担するような考えも悪さをしていました。

しかし、私の親は、程度はともあれ毒親です。未だに私の精神疾患発達障害を理解しようという気がなく、「精神科にかかることは自分はダメな人間だと烙印を押したようなものだ」と誹謗中傷してくる親です。

そして、ものの考えに関しても閉鎖的かつ事なかれ主義なので、うわべでは子どもの味方をしているように見えても実際は子どもにとっては大敵なのです。

そんな親と学校が手を組むなんてことになったら…。

私にとって正直しんどい話でした。

でも、後日両親は学校に赴き、管理職と話をしました。そして出た結論が…。

「一人暮らしをして倒れたんだから、実家から職場に通いなさい」という、私にとって死を意味するようなものでした。

無理解な両親の誹謗中傷にさらされ、体が思うように動かないのに家事を強いられ、コロナ禍と金欠で、出かけられることはありません。

そんな中で病は治るわけが無いし、私は昨年実家で4回オーバードーズをやっています。

(↓↓↓オーバードーズのお話はこちら↓↓↓)


不登校の日常vol.53 本当にあった自殺の怖い話 - 荒ぶる女子の実習日誌

 

 

そのことを話し、私は実家に帰るのを拒否しました。

1番安全でかつ必要なのは、親と物理的な距離を置くことだと主治医にも言われています。

 

さらに、私も独自で闘うことにしました。

管理職から渡された復帰プログラムの規定すべてに目を通し、重要な箇所、必要な箇所はピックアップしてメモに書き込みました。それから、県の教育委員会に電話して、今の学校の管理職に復帰プログラムを渋られたこと、復帰プログラムの規定について気になることなどを質問したのです。

校長、教頭は、学校の中ではかなり偉い立ち位置にいますが、教育委員会や県職員のグレードから見れば、実はそんなに大した立ち位置ではありません。上には上がいます。

さらに、県の発達障害者支援センターに連絡して、どうやって今後復帰プログラムを進めていけばいいのか、第三者目線でのアドバイスをお願いしました。これは現在進行中です。

 

前回の復帰プログラムで、何が一番いけなかったかというと、それは、管理職が以前、別の職場で発達障害を持った職員の対応や、休職した職員の復帰プログラムを経験していたから大丈夫、という慢心と、私もそれに甘えてしまったことです。

発達障害や休職した理由、病状は個々人でまったく異なります。だから、過去に成功していても、同じことをすれば大丈夫という保証は無いのです。

常に眼前の人の話に耳を傾け、その人自身に合ったものを模索する。これは、学会が行ってきた行動であり、かつ教育部がずっと大事にしているものです。

そして、実はこの私の闘争も、影で教育部の先輩方が、専門的なところからアドバイスをしてくださったからこそ、冷静にかつ正しく闘えたのです。

最初に、管理職から復帰プログラムを渋られ、訳の分からない言いがかりをつけられた時、私の親にその事を言うと、親は「私が悪い」と私を責めました。(毒親あるあるだよね)

しかし、電話で号泣する私に、教育部の先輩は言いました。

「牧口先生も、戸田先生も、正しいことを言ったから牢屋に入れられたんでしょ?池田先生もそうじゃない?」

その言葉にハッとさせられました。

創価学会創立者牧口常三郎先生と戸田城聖先生は、第二次世界大戦の最中、軍部政府が動員強化のために、日本の宗教をすべて国家神道に改宗しようとするのに断固反対し、軍部権力と敢然と対峙した結果、治安維持法違反・不敬罪という、いじめにも似た法律で投獄されたのです。

池田先生も、大阪事件で事実無根の罪を着せられて投獄されました。

そのことが蘇りました。

「正しいことをやっている人は、悪い人に必ず批判されたりいじめられたりする」という、日本の悪しき文化や御書の内容を思い出しました。

さらに、法華経の行者をいじめる者は、必ず罰が当たるのよ」という励まし。これは、学会の歴史が長きにわたって証明していますし、私も実際目にしたことがあります。

その罰は、あまりにも恐ろしく、あまりにも大きいものでした。「いじめを娑婆世界で裁く事は難しいけど、仏の世界では必ず厳然と裁かれる」ということを教えられたできごとでした。

さらに、言いがかりをつけられたことを教育部のオンライン座談会で話すと、先輩が大笑い。

「そんなのウソや~( ゚∀゚)ウァハハ八八ノヽノヽノヽノ \」と一蹴してくれたのです。

そういった影の励ましがあったからこそ、正しく戦うことができました。

そして、その因果か分かりませんが、何と今月を以て、復帰プログラムを渋っていた管理職がダブルスで異動になったのです!!

しかも、それぞれが激務中の激務な職場へ異動。今までの平和ボケはもうできない(かもしれない)でしょう。

そのことによって、私も実家へ帰る話が、一旦ストップしたのです。

さらに、ずっと支給されないと気を揉んでいた傷病手当金も、ようやく支給されるようになり、少しずつ生活面でも改善が見込める可能性が出てきました。

 

復帰プログラムや職場復帰に向けて、周囲のフォロー、サポートが必要なのは、確かにその通りです。

しかし、復帰プログラムを受け、職場に帰るのは誰でもない私自身です。

私にも、復帰に向けて動かねばならないところがあったし、知っておかなければならない制度や規定がありました。

病気で体が動かない、職場でつらい思いをして、仕事のことを思い出したくない。そう思う事もたくさんあります。

しかし、今の日本は精神疾患発達障害に関してまだまだ無理解が酷く、病人自らが動かなければならないのが現状です。でも、しんどいから、と動くのを渋っていては、何も変えられません。

大切なのは、「自分で今後、どうやっていきたいか」「今の自分にできることは何か」を常に考え続けることだと思います。それを放棄し、ただ休職という身分に甘え、次をどうやって生きるか考えるのをやめた時、人は破滅への道を辿るのだと思いました。

病気になった、発達障害の診断を受けた、じゃあ今後どうするか?

周囲の意見より、大切なのは自分がどうしたいかです。

不登校の日常vol.76 見破る眼を開け

例え学会員だからといっても、急な不具合が生じたらすぐに「魔が来た」と思ってしまうのは、あまりいけないことです。

でも、今回の件は、マジで魔が大きく競い起こっているとしか思えない。

法華経の眼で見れば、私がまた入ろうとしている世界は、私が復帰して教育現場に貢献するのをめちゃくちゃ嫌がってor恐れているに違いないのです。

というのは、まず、復帰プログラムの再開を渋る管理職。彼がまざまざと魔の姿を見せてくれました。

 

今年の2月中旬、私は休職の延長申請をするために管理職と面談することになっていました。

でも、当日になって「学校に行きたくない、嫌だ」と体が学校に行くことを拒否して、面談に行くことができなかったのです。もちろん管理職にはそのことを報告しましたが、その報告を面談の時間より後にしてしまったので、これが私にとっていけないところでした。

時間にルーズになってしまっていたのが、今回のトラブルを引き起こしてしまったのだと思います。

面談に行けない、と自分で察した時点で、すぐに連絡しなければいけませんでした

 

そして、そのミスにつけ込みつつ、さらには私に関して県から寄せられた出処の分からない苦情も加担して、管理職は私の復帰プログラム再開を渋りだしました

その、出処の分からない苦情というのが、「私が街中で遊び回っている。いつも同じ男の人と一緒にいる、という目撃情報が多数上がっている」というものでした。

確かに、普通に働いている人からしてみれば、病気休職中の私が、平日に街中を歩いていれば「遊んでいる、ふざけんな」と見られるのかもしれません

しかし、精神疾患を持つ人にとって、日の光を浴びて日中活動できるように街中を歩くことは、ある程度必要なことです。

あと、「いつも同じ男の人と一緒にいる」というのは、(おそらく)彼氏のことであって、そんなプライベートなことを県に苦情つけるのはいささか変な気がします。

「病気休職中の私が、平日に街中をほっつき歩いているという目撃情報が、県に多数寄せられた」のなら、私ひとりが「申し訳ありませんでした、自宅での療養に専念致します」と言えば良いのです。

それを、「いつも同じ男の人」と、赤の他人まで巻き込んで苦情をつけているのは、その人にとっても迷惑な気がします。

「目撃情報」を言ったのは誰なのか、そもそも「目撃情報」を言ったのは1人なのか、はたまた複数の人がバラバラに言ったのか。真相は分かりませんが、苦情をつけるなら私1人につければいいのです。

それをなぜ、他の人まで巻き込むのか。そこに、相手の卑怯なところが見えます。さらに、その人のことに関していえば、私の外見を事細かに覚えていて、私の今の事情も知っていて、かつその人もかなり広範囲をほっつき歩いているということになります。

しかし、私はそんな毎日街中に出ている訳ではないので、よほど目と記憶力が良いか、その人自身がずっと街中に居なければ、目撃する確率は低いでしょう。

と考えると、相手は、私に何らかの嫉妬やマイナスなイメージを持っているのだと思います。

「いつも同じ男の人と一緒にいる」というところから、それは感じられます。

ともあれ、そういうミスや、よく分からない噂話、また、私の代わりの臨時採用の助手さんが見つかったことから、管理職は私の復帰プログラムの再開を阻止し、あわよくば私を退職させようと目論んでいるのだと思います。

 

その後ろには、私が復帰することによって今後成し遂げられていく、数々の救済のドラマが彩られていくことを恐れる魔の姿と、発達障害抑うつ状態、適応障害に関する正しい知識を持ち合わせていない、持とうとせずに逃げようとし、自分の考えだけで復帰プログラムを推し進めた結果、失敗に終わってしまったことについて、ミスの原因をすべて私に押し付けようとする管理職の弱い心が見えました。

実際、私は復帰プログラムを始める前、周りの職員の声が聴覚過敏を誘発させるから、と言って、ノイズキャンセリングイヤホンの使用許可を直接管理職に取りました。(実物も見せました)


f:id:rinkablog:20210301191901j:image


f:id:rinkablog:20210301191920j:image

その時の管理職は、「どうぞ使ってください(^ ^)」とすぐに快諾してくださいました。

しかしそのことが、何と…。

「教員は生徒の声や周りの声が聞けないと務まらないのに、ヘッドホンをするとはどういうことだ」

ヘッドホン?

私が話したのは、ノイズキャンセリングイヤホンですよ?(;´∀`)

何か、管理職の中で記憶がねじ曲がっていたのです。そして、畳み掛けるように、さっき書いた「校長面談に来られなかった」ことを武器に、復帰プログラムを再開することを渋り出したのです。

 

↓↓↓当時の復帰プログラムのことについての詳細はこちら↓↓↓

https://rinkablog.hatenablog.com/entry/2020/08/17/%E4%B8%8D%E7%99%BB%E6%A0%A1%E3%81%AE%E6%97%A5%E5%B8%B8vol.68_%E6%89%93%E3%81%A1%E5%88%87%E3%82%8A%E3%81%AF%E7%AA%81%E7%84%B6%E3%81%AB

 

https://rinkablog.hatenablog.com/entry/2020/09/18/%E4%B8%8D%E7%99%BB%E6%A0%A1%E3%81%AE%E6%97%A5%E5%B8%B8vol.69_%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%82%8A%E3%81%AA

 

起こったミスをどうやって解決していくか、2度と起こらないようにどう改善していくか。

その対応から逃げるための白々しい嘘や言い訳を、最もらしい正論に飾り立てて並べ、ちょっとの噂話を針小棒大にして相手の周りから囲っていく。これは、今まで私が受けたいじめやパワハラの手口と同じです。

この、くだらない言い訳や噂に対して、私は正面から戦いを挑むことにしました。

なぜなら、この魔の受け方は、学会の「大阪事件」「宗門事件」と似たところがある気がするのです。

しかし、学会は、すべての事件において勝ってきました。全ての魔を見破り、嘘を炙り出し、1歩も引き下がらなかったのです。

さらに、教育部の先輩の話によれば、今は時代の流れの転換期にあります。「長いものに巻かれろ」という風習が破られ、青年たちが躍動する時代へと変わりつつあります。

学会も、創立100周年へ向けての総仕上げへの10年に入りました。その総仕上げや次の世界を作って行く青年たちへ、今、魔が強く起こっているのだそうです。ともすれば、その地涌の陣列に、私も入っているのです。

だから、これだけ大きな魔が競い起こっている。たったのそれだけです。

また、管理職の言い分も、単に「自分の失敗を認めたくない」という弱いワガママな気持ちに負けているだけの、とてもシンプルなものだと思います。

私がしでかしたミスはしっかりと管理職に謝罪しつつ、いまだ競い起こる障魔に、まっすぐに戦っていこうと思います。