荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

不登校の日常vol.77 甘い言葉にご用心!

こんにちは(゚∀゚)

気がつけば早いもので、もう3月も終わりですね…。私が住んでいる家の近くの桜も、満開が近いような気がします。

さて、今回のお話は、ちょっとした連載記事にしようと思います。

というのは、前回の復帰プログラムについて管理職と一悶着やった時から、何かと良くないことが立て続けに起こったからです。

 

(↓↓↓復帰プログラムを渋られた話はこちら↓↓↓)


不登校の日常vol.76 見破る眼を開け - 荒ぶる女子の実習日誌

 

それは、仕事の話だったり、制度の落とし穴だったり、友人に関することだったりします。

色々な人が私の周りで魔として襲いかかり、今もその疲労で精神的に疲れてしまっています。

幸い、内分泌内科で処方してもらっている漢方薬や、精神科で処方してもらっている頓服薬があるので、大事には至らないと思いますが…。

 

それではまず最初のお話。今回は、復帰プログラムをめぐった魔との闘争を、どうぞ!(゜∀。)

 

内分泌内科というセカンドオピニオンで、私の体調は、精神科のみに掛かっていたときよりは良くなっていました。

そして、管理職の側も、復帰プログラムに関しては前向きに取り組む姿勢を見せていました。

しかし、私の学科がいつまでも欠員を出してしまってはメンツが立たないという管理職の考えから、学校は、昨年秋ぐらいより、臨時採用の助手さんを雇うことになっていたのです。

私もその話は聞いていたし、代理の方には本当に感謝していました。

さらに、その代理の方は、私が正式復帰したらすぐに席を降りる、と仰ってくださっていたそうです。

 

それが、前回管理職と復帰プログラムを再開するか否か揉めた時に、管理職が言ったのが、「今の臨時採用の人を押しのけてでも途中で復帰したいのか!?」ということ。

そりゃあしたいわよ、何て言ったってこっちは生活がかかってるんだから。

(ちなみに臨時採用の助手さんは普通の主婦だったそうです)

ただでさえ毒親と距離を取らなければならないのに、1人で生活できずに実家に戻ることは、私にとって自殺行為ともとれる行為です。

それに、考えて欲しい。病気休職じゃなくても、例えば産休、育休、介護休暇と、休職の種類はたくさんある。その人たちが、やっと復帰の目処が着いたと思って「復帰したい」と言った時も、管理職は同じ言葉を投げるのか?

さらに、管理職というのは、人を管理するのが仕事でもある。そういった、途中から復帰してきた人たちと、これまで在籍していた職員が、お互い気持ちよく働けるようにフォローするのが管理職の仕事ではないのだろうか?

 

田舎で、都会の学校より生徒数が少ないため、モンスターペアレントや重大な生徒指導が発生しづらく、職員の異動もほとんどないため教員間のトラブルが無い分、管理職は、「平和」な環境に酔いしれていたのです。

でも、実際の現場は、田舎だろうが平和とは程遠いものでした。

しかし、それをどんなに管理職に訴えても、現場の人は、やり方が分からないからなのか、やることが面倒だからなのか、改善へと動く気配はありませんでした。その結果が今の私です。

それなのに、管理職は一方的な思い込みや、おかしな言いがかりで私を悪人に仕立てあげ、「今後のことについて、私の両親と話がしたい」と、学校に両親を呼び出すように言ったのです。

もちろん、復帰プログラムは、県の規定で「家族や配偶者の同意が必要」とされています。

が、最も重要なのは、「復帰プログラムは休職している職員の希望により実施される」のです。

さらに、復帰プログラムは個々に合わせたペースで行うことが大前提なので、平和ボケした管理職が面倒くさがるのも見えています。

そこで、こんなに「反抗」する私の両親がどんなふうなのか、ツラ見せろというのが管理職の考えでした。

また、日本の古い教育体制、「家庭の問題は家庭でしか解決できない」という、毒親量産に加担するような考えも悪さをしていました。

しかし、私の親は、程度はともあれ毒親です。未だに私の精神疾患発達障害を理解しようという気がなく、「精神科にかかることは自分はダメな人間だと烙印を押したようなものだ」と誹謗中傷してくる親です。

そして、ものの考えに関しても閉鎖的かつ事なかれ主義なので、うわべでは子どもの味方をしているように見えても実際は子どもにとっては大敵なのです。

そんな親と学校が手を組むなんてことになったら…。

私にとって正直しんどい話でした。

でも、後日両親は学校に赴き、管理職と話をしました。そして出た結論が…。

「一人暮らしをして倒れたんだから、実家から職場に通いなさい」という、私にとって死を意味するようなものでした。

無理解な両親の誹謗中傷にさらされ、体が思うように動かないのに家事を強いられ、コロナ禍と金欠で、出かけられることはありません。

そんな中で病は治るわけが無いし、私は昨年実家で4回オーバードーズをやっています。

(↓↓↓オーバードーズのお話はこちら↓↓↓)


不登校の日常vol.53 本当にあった自殺の怖い話 - 荒ぶる女子の実習日誌

 

 

そのことを話し、私は実家に帰るのを拒否しました。

1番安全でかつ必要なのは、親と物理的な距離を置くことだと主治医にも言われています。

 

さらに、私も独自で闘うことにしました。

管理職から渡された復帰プログラムの規定すべてに目を通し、重要な箇所、必要な箇所はピックアップしてメモに書き込みました。それから、県の教育委員会に電話して、今の学校の管理職に復帰プログラムを渋られたこと、復帰プログラムの規定について気になることなどを質問したのです。

校長、教頭は、学校の中ではかなり偉い立ち位置にいますが、教育委員会や県職員のグレードから見れば、実はそんなに大した立ち位置ではありません。上には上がいます。

さらに、県の発達障害者支援センターに連絡して、どうやって今後復帰プログラムを進めていけばいいのか、第三者目線でのアドバイスをお願いしました。これは現在進行中です。

 

前回の復帰プログラムで、何が一番いけなかったかというと、それは、管理職が以前、別の職場で発達障害を持った職員の対応や、休職した職員の復帰プログラムを経験していたから大丈夫、という慢心と、私もそれに甘えてしまったことです。

発達障害や休職した理由、病状は個々人でまったく異なります。だから、過去に成功していても、同じことをすれば大丈夫という保証は無いのです。

常に眼前の人の話に耳を傾け、その人自身に合ったものを模索する。これは、学会が行ってきた行動であり、かつ教育部がずっと大事にしているものです。

そして、実はこの私の闘争も、影で教育部の先輩方が、専門的なところからアドバイスをしてくださったからこそ、冷静にかつ正しく闘えたのです。

最初に、管理職から復帰プログラムを渋られ、訳の分からない言いがかりをつけられた時、私の親にその事を言うと、親は「私が悪い」と私を責めました。(毒親あるあるだよね)

しかし、電話で号泣する私に、教育部の先輩は言いました。

「牧口先生も、戸田先生も、正しいことを言ったから牢屋に入れられたんでしょ?池田先生もそうじゃない?」

その言葉にハッとさせられました。

創価学会創立者牧口常三郎先生と戸田城聖先生は、第二次世界大戦の最中、軍部政府が動員強化のために、日本の宗教をすべて国家神道に改宗しようとするのに断固反対し、軍部権力と敢然と対峙した結果、治安維持法違反・不敬罪という、いじめにも似た法律で投獄されたのです。

池田先生も、大阪事件で事実無根の罪を着せられて投獄されました。

そのことが蘇りました。

「正しいことをやっている人は、悪い人に必ず批判されたりいじめられたりする」という、日本の悪しき文化や御書の内容を思い出しました。

さらに、法華経の行者をいじめる者は、必ず罰が当たるのよ」という励まし。これは、学会の歴史が長きにわたって証明していますし、私も実際目にしたことがあります。

その罰は、あまりにも恐ろしく、あまりにも大きいものでした。「いじめを娑婆世界で裁く事は難しいけど、仏の世界では必ず厳然と裁かれる」ということを教えられたできごとでした。

さらに、言いがかりをつけられたことを教育部のオンライン座談会で話すと、先輩が大笑い。

「そんなのウソや~( ゚∀゚)ウァハハ八八ノヽノヽノヽノ \」と一蹴してくれたのです。

そういった影の励ましがあったからこそ、正しく戦うことができました。

そして、その因果か分かりませんが、何と今月を以て、復帰プログラムを渋っていた管理職がダブルスで異動になったのです!!

しかも、それぞれが激務中の激務な職場へ異動。今までの平和ボケはもうできない(かもしれない)でしょう。

そのことによって、私も実家へ帰る話が、一旦ストップしたのです。

さらに、ずっと支給されないと気を揉んでいた傷病手当金も、ようやく支給されるようになり、少しずつ生活面でも改善が見込める可能性が出てきました。

 

復帰プログラムや職場復帰に向けて、周囲のフォロー、サポートが必要なのは、確かにその通りです。

しかし、復帰プログラムを受け、職場に帰るのは誰でもない私自身です。

私にも、復帰に向けて動かねばならないところがあったし、知っておかなければならない制度や規定がありました。

病気で体が動かない、職場でつらい思いをして、仕事のことを思い出したくない。そう思う事もたくさんあります。

しかし、今の日本は精神疾患発達障害に関してまだまだ無理解が酷く、病人自らが動かなければならないのが現状です。でも、しんどいから、と動くのを渋っていては、何も変えられません。

大切なのは、「自分で今後、どうやっていきたいか」「今の自分にできることは何か」を常に考え続けることだと思います。それを放棄し、ただ休職という身分に甘え、次をどうやって生きるか考えるのをやめた時、人は破滅への道を辿るのだと思いました。

病気になった、発達障害の診断を受けた、じゃあ今後どうするか?

周囲の意見より、大切なのは自分がどうしたいかです。