荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

不登校の日常vol.69 やっぱりな

お久しぶりです。1ヶ月ぶりくらいに更新します。

コロナの再流行もあって、9月から、急ではあるけど復帰プログラムが始まってしまう、というのが前回のあらすじ。そして、その後どうなったか、と言いますと…?

 

復帰プログラム、一旦中止になっています。しかも開始から5日足らずで。

そして今は主治医の診察日を待つため、また例によって一人暮らし先で療養中です。

早すぎるし急すぎると思っていたのはやっぱり暗示とかじゃなくて本当で、復帰プログラムが始まる前日は軽くパニック発作みたいなのも出て、学校行けないんじゃないかと思ったのですが…。

教育部の先輩や、一人暮らし先の地区の女子部の方の励ましで何とか行くことはできました。

でも、職場で私を襲ったのは…。

具合が悪くなった記憶のフラッシュバックや、かつて自分が知らず知らずのうちに思っていた、周りと自分の仕事の実力差に対するプレッシャーでした。

工業高校の専門学科の教員は、経験値と専門知識をかなり要求されます。だから、実を言えば、高校も普通科を出た教員より工業高校の同じ学科を出た教員の方が、仕事は遥かにやりやすいと思います。

私は普通科を出た後で工学部を出ただけ、更に非正規雇用で学科を転々としたため、一つの学科への基礎がついていないのです。数々の畑違いの学科に居なければならなかったこと、それに耐えられなくなったことが具合が悪くなった原因の一つでもあったのですが…。

周りは普通に仕事をしている中、私は実習も製図も特に付くところが無かったので、独りで何をやればいいのか全く分からなくて、職員室で本を読んでいるか、図書館で雑誌をめくるくらいしかできませんでした。

その中で、自分が何もできないことにプレッシャーを感じたり、実技の練習がしたかったのに誰かに付いて教えてもらえなかった(実技は工作機械だから危険度は命に関わるレベルなので、初心者は絶対に誰かについてもらわないとだめ)り、資料が不十分で取り付く島が無かったりしたことが、日が経つにつれてどんどん思い出されてきて、学校に行きたくない、行けないという思いがまた膨らんできました。

未来の物事や自分の至らなさを悲観的に捉えるのは、自閉症スペクトラムの特徴だそうですが、それに対して支援は何もありませんでした。

発達障害に関して一番気を遣わなくてはならない現場がこうだというのが、今の教育現場の現状です。

復帰プログラムも、1週間くらい半日勤務があった後は、いきなりフルタイム勤務、しかも2ヶ月ぶっ続けでした。

あまりにも形式的すぎて、個々に合わせたプログラムという感じはしなかったと思います。

いささか無理矢理、横暴とも取れたかもしれません。

でも、またいつコロナが再流行するか分からない世の中で、休職期間ずっとコロナの影響で復帰プログラムができずにクビになるという事態を、管理職は防ぎたかったんだと思われます。(←教育部の先輩の考察)

 

もちろん、私だって命がけでこの実習助手という職に就いたのだから、必ず復帰したいという思いはあります。

ただ、すべては早すぎた。いずれ起こるだろう事態だと私は察していたので、「やっぱりな」というのが私の本音で。

ですが、私に悔しさが無いかと言われれば、それは違います。「悔しい」としっかりと感じました。だから、必ず復帰できると思います。悔しい、はやる気の裏返しですから。