不登校の日常vol.25 正直な気持ち
こんばんはm(_ _)m
しばらく更新できてませんでしたがちゃんと生きてます。
何で更新してなかったかというと、誕生日に高山へ鈍行旅をしていたのと、その後帰って来て色々後片付けやら、名古屋へ座談会やらバタバタしていたので、書くことができなかったのです。
それに、座談会出て、何かブルーになってたんです。
今回の座談会は、昨年末頃から折伏の親が地区部長を勤め始めた地区でした。なので多少顔見知りもいたし、大好きな支部で行われたから、楽しみにはしていたのですが…。正直何かつらかった。
座談会の内容があまり頭に入ってこないし、話すことも何か上手く伝わらなかったし、あとで対話した折伏の親の励ましにプレッシャーを感じてしまっているのです。
私の両親は、学会大嫌いの無宗教です。私のみ個人で折伏され、入会しました。
なので、両親にはまだ学会に入ったことを話せていません。信心してることも、電子版で聖教新聞を取っていることも言えてません。だから、折伏の親にはいつも、「親にも信心のこと話せるようにならないと」と言われます。
そのための勇気をつけるためのお題目だし、信心だと彼は言います。勿論、言うことは分かる。
でも、今の私には、言うために十分な知識や経験がまだ備わっていないと思うのです。
だから知識をしっかり身に付けつつ、色んなことに挑戦して勇気も付けていきたい、これが私の本心です。
言い訳に聴こえるかもしれないけど、私の親は結果主義だし、色んなことに偏見が根強い。特に学会に関しては。
なので、正しくブレない知識をブレずに言えるようになりたいのです。
遠回りだし言い訳に聞こえるかもしれないけど、言うなら確実に真実を話したい。多くの人に勘違いされて嫌われているのが学会だから。
そして、私の復職のことについて。
正直言って今、私の心は学校で働こう、学校に行こう、ということが完全に止まってしまっています。
学校に行きたくない。と文字がはっきり頭に浮かんでいます。
今の私は、働いていた時の記憶がほとんどないし、戻ったとしても、行われている実習などの内容もほとんど忘れているし、もともと知識も持ち合わせていない。部活に関してのトラウマも、癒えた訳ではありません。
恐らく、今復職すれば、「学校に行って帰ってくる」という淡々とした、しかも特に中身もなく、実習助手という職務を遂行できているかさえ怪しい状態でいると思います。それは、私にとってかなりの苦痛になります。
しかも私にとってその経験は初めてではない。
前に勤めた愛知での勤務が、まさにこの状態でした。
自動車科、建設科。
ちゃんとした新人教育はされず、できることは何もなく、パワハラやいじめに怯えながら、独りぼっちで途方に暮れていました。
私の現在の職場も、パワハラやいじめがないこと以外はほとんど同じで、今戻っても私は戦力になれず、独り浮いて職場に馴染めなくなる可能性大です。しかも特に、何もやれることが無かった建設科の状態と状態が被るため、またトラウマのフラッシュバック、しかも自閉症スペクトラムを持つ私には「タイムスリップ現象」という、フラッシュバックの中でもかなりメンタルに来るフラッシュバックが強く出ると思います。
でも、本当は、私も自分がここまで傷付いていたなんて思っていませんでした。
吹奏楽部のトラウマも、中学の頃にそこまで傷付いていたなんて思っていなかったし、愛知県で勤めていた時に、パワハラやいじめや孤立に、そんなに深く傷付いていたなんて思っていませんでした。
でも、ふと歩くのをやめて立ち止まった時、自分の心がものすごく磨り減っていること、今まで傷ついていた事を自分自身も分かっていなかったことに、どうすれば良いか分からなくなったのです。
心の傷って、どうすれば癒えるんでしょうか。
いや、癒えることはなくても、傷と一緒に生きていくためには、私はどうすればいいのでしょうか。
それを今後お医者さんと話し合うとともに、お題目でしっかり御本尊様にぶつけていきたいと思います。
まだ完全復帰には遠いように思います。
不登校の日常が終わるのが先か、春が来るのが先か、どっちでしょうねえ。
あ、大丈夫ですよ。不登校の日常が終わっても、このブログのタイトルが変わるだけなので、私は死んだりしませんから安心してくださいね笑
それにしても、いじめの傷って一生モノなんですね。
私も人と接するときには気をつけていきたいものです。だって、何気ない事が一生の傷になってしまうのですから。
さて、ちょっと暗い話をしたので、次は高山鈍行旅のことを書こうと思います(*˘︶˘*).。.:*♡