私の活動体験 vol.1
こんにちは〜(*´∀`*)
自己紹介シリーズも、そろそろ半分くらいまで終わったと思います。
内容は暗いし、なかなか赤裸々なところもあってディープかつヘビーだとは思いますが、このシリーズを書き上げないと、今後の記事がすべて「?」なことになっちゃうと思うので、ご容赦くださいませ。
このシリーズ完結までご辛抱よろしくお願いします。
このシリーズが終わったら、結井の趣味とか日常生活とかの、かなりライトな記事が書けると思います。ので、それを書くことを楽しみに…。
あ、あとそれから、ブログ、今朝急に30人ほどアクセスがあって、ありがとうございます(*´艸`*)
しかも、今日のお昼のツイキャスも14人ほどアクセスがあって、4人の方からコメントとか色々もらいました。
ありがとうございました\(^o^)/今回のキャスは楽しかったです笑
今後もTwitterにて、ツイキャスやるときには一声入れますので、ぜひアクセスしてください!質問とかあると楽しいです。
ライブ名は、「ゆいりん会」です。そのうち学会の文芸部にも入るし、名刺作ろっかな…←偉そうに(ボソッ
さて、前回は、折伏の親とトラブったことや、合わない職場やこれまでの疲労で疲れた私は2回目の不登校になったところを、学会女子部に救われて復活したんでしたよね。
その後、実習助手の採用試験を受験しに岐阜県へ行ったんだけど、どうだったかというところで切ったと思います。
その続きですね。それでは、書いていきます!
岐阜県の実習助手の採用試験。というか、実習助手の採用試験。実はこれも、教員採用試験の一貫です。
一般的に、教員採用試験というと、「教諭になる」というイメージを持たれる方が多いと思いますが、実は実習助手も学校で教諭と一緒に技術指導などに入るので、教員の部類に入ります。
ただし、実習助手には教員免許が要りません。要は、数ある公務員の役職のうち、技術職にあたる人が学校に赴任する、みたいな感じのポジションなので。しかも、高卒(もしくは高校卒業見込み)からなら誰でも受けられます。ジャンルは、基本的には工業、農業、商業、理科です。さらに工業は、もっと細かくジャンルが別れていて、「機械」、「電気・電子」、「建築・土木」が一般的な分けられ方です。何か、結構専門的なジャンル多いな〜と思われるかもしれませんね。
私たち実習助手は、名前にもあるように、実業的な学校で行われる授業、特に実習において、教諭の先生がお1人では指導するのが難しい実習とか、命の危険が伴う実習(機械系学科、自動車科は特に!)について教諭の先生の指導をサポート、目の届かないところをフォローしたり、教諭の先生が実習をスムーズに行えるように、色々もののセッティングや材料の用意などをします。(余談ですけど、私も、旋盤で実習の材料を作ることをやったりしてましたw)
なので、実習助手が必要とされるのは、基本的に実業高校です。理科は普通科にもニーズがあるそうですが、試験合格率は低いと思います。
その試験は、各自治体によって内容はバラバラだと思いますが、岐阜県の場合は、小論文・筆記(一般教養と専門教養)・個人面接、だったような気がします。
一般教養は、大体中学〜高1レベルくらいの問題が、国、数、理、英、社からまんべんなく出ます。
専門教養は、高校レベルの問題が出ます。機械系の場合は、高校の「機械設計」「機械工作」と「機械製図」の基本的な知識が要求されます。受験した感想としては、教科書の問題が解けていれば問題ないと思います。あとプラスで、技能検定3級の機械加工のジャンルの学科試験の問題をやっておいたり、「就職問題集」という、工業高校生の就活必須アイテムである問題集を解けるようになると、鬼に金棒です。まあ、基本的には過去問をスラスラ解けるようになったら安全圏に入ると思いますが笑
そんな試験、さて結井はどうだったかというと?
めっちゃ簡単だった。(筆記は)
いや、だって…これでもね、一応、講師として機械系で教えてたんだから。
問題解けなかったらこれまじの給料泥棒だっての!!!2年分の授業準備なめんじゃねーーーー!!!
実は私、授業準備の時、その授業でやる演習問題の回答の板書を作るため、問題をすべて自分で解いて、それを採用試験対策にしてたんですよ、てへ(*゚∀゚)
え〜だってさー、わざわざオフの時に時間を割いて引きこもって何時間も勉強、なんてしたくないじゃん?
めんどくさい。
こう思うのは、私の大学受験のときの大きな失敗が理由なんですが(私は現役時代、受験失敗して1年浪人してます)、とにかくオフは休みたいじゃん?
それと、モノを理解するためには、自分が人に教えることができて、初めて理解できると思うんですよ。
実際、教育学でもこれはよく言われています。
なので、勉強に時間割くのなんてできない!という、講師とか期限付勤務されてる受験者さんは試してみることをおすすめします。でも、今のこの時代だと、講師でもブラック部活に飲まれる人が多いので、実践も厳しいかもしれませんが…。
まあ、話を戻して、私の経験を書くと、私の場合は効果抜群でした。
しかもこの試験のとき、これまで過去問では全くお目にかからなかった、原動機、しかもなぜか「トリチェリの定理」が出たんですよ。一瞬固まった。でも、私は昨年機械科で原動機を教えた時、トリチェリの定理はベルヌーイの定理、いや、何ならエネルギーの各公式からベルヌーイの定理、からのトリチェリの定理を導き出す方法を講義したので、そのかすかな記憶を手繰り寄せ、クリア!
御書にある、「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」を立証した瞬間でした。
まあ、どうしても分からない機械工作の問題は1つあったけど、それは用語を答えるものだから特にノープロブレム。
そして、私の大敵である機械製図(私は、機械製図、特にテクニカルイラストレーションがまじで苦手です)が、何と!これまでの過去問にあった、難しい立体の製図がなく、製図記号を答えるだけだったのです!
これが大きかった。でも、小論文と面接が難しかった。
でも、全部終わったあとで感じたのは、
ワンチャン、イケたんとちゃう?(。・_・。)
うん、何かイケた気がした。
しかし、その前に受験していた教諭の方の採用試験は、残念ながら落ちてしまいました。
でも、嬉しかったのは、私が落ちたのは、全く全てがダメだったわけではなく、合格ラインまでわずかに達していなかったからだったそうです。
しかもこの時、私は正直、落ちて良かった、と思いました。
というのも、今の自分の能力や体力を思うと、仮に受かったとしても、とてもじゃないが初任者研修をやりながら仕事はできないな、というのを感じたからです。それに、この時、学校を3校まわって「教諭」という職業を見続けて来たことを思い出し、自分の中に、何となく違和感を感じたのです。
「教諭って仕事は、私がやりたい仕事じゃない」と。私は、生徒に専門的なこと、学術を教えることをしたかっただけなので、もともと学級経営や部活にはあまり興味がありませんでした。
だから、むしろ、ならなくて良かった、と思いました。
でも、そう思う半面、この時私はお題目をサボりがちだったので、「お題目をちゃんとやってなかったからかなあ」
と少し反省したのを覚えています。
それで、その不合格通知を受け取った日から、実習助手の合格発表の日まで、お題目をやることにしました。
でも、お題目にしろ何にしろ、継続は難しいですよね。
実際、お題目やると言っても、三唱だけで終わったこともあります。
やると決めたはいいけど、お題目に関することは、魔が強いんだ。
あ、魔というのは、信心しようとすることや、学会活動しようとすることを邪魔するもののことを指します。
ちなみに、信心しようとすると魔が来るのは当たり前のことだそうです。
しかもその魔ってめっちゃ種類多いし、巧妙。メンドクセー( ´ー`)フゥー...
なぜなら、「法華経による信心こそ、数ある仏法の中でも本当に正しいもの」だからだそうです。
御書にもこのことはしっかり載っています。「この信心をやろうとすると、魔が競い起こるのは当然のことで、今こそ魔に負けずに信心しきっていきなさい」という内容の御文があります。(兄弟抄)
池田先生も、「魔のない戦いは間抜けだ」と仰られています。
ので、魔に負けそうになりながらも、お題目をちびちびやっていました。
でも、やっぱりしんどいんだよ、継続は。それで、合格発表の前日、「やめちゃおっかな…」と思っていたその時、でした。
区の女子部の方から連絡が入りました。何でも、前に私が家庭訪問した女子部の先輩の親御さんが体を壊して、先輩が故郷に帰るとのこと。それで、お題目を送って欲しい、という連絡でした。
このタイミングで?!(・・?と思いましたが、この時、私は、ついに学会の一員になったんだ、と実感しました。
ついに誰かにお題目を送る日が来たんだ…と。
そこから親が寝静まるのを待って、唱題しました。何て祈っていいかわからなかったけど、必死で唱題したのを覚えています。
そんなことがあって、迎えた合格発表当日。結果は…。
何と、合格でした。
いや、今実習助手のブログ書いてるんだから、言わなくても察せれたかもしれないけどね笑
しかし、私はこれまで、高校受験も大学受験も教員採用試験も失敗していたので、嬉しかったというより、
っていうのが、最初に出た正直な感想でしたね。
その次に、
「愛知出れるうううううう!!!解放だああああああ!\(^o^)/」
が来ましたね。解放って笑
まあ、それで実習助手合格を勝ち取り、今に至るわけなんですけど…。
実は、受かった後も修羅場は続きました。というより、受かったあとの方が学科内パワハラが酷くなった。
何かにつけて私の行動、言う言葉を嗅ぎつけてはケチをつけられる、めんどくさーいお言葉をいただく、当たられ屋になってました。多分、私が女で、ろくに仕事してないのに受かったのがしゃくに触ったんだろうね。
それもあって、前の不登校のこともあって、私はあることを考えました。
次の行き先はできた。じゃあ…今の仕事、任期満了前に、辞めちゃう?
要は早期退職を考えるようになったのです。最初は、合格した月、10月末にしようかなと思いました。
しかし、それはできなかった。
だって、12月にやってくる、あのボーナスとかいうやつがもらえない。
じゃあ、12月末か?しかし、ここで私はある事が頭をよぎりました。
実は初めて不登校をやった時、私は、何の別れの言葉もなく生徒たちを残して学校を去ったことを激しく後悔したのです。だから、同じ後悔をしたくなかった。
そこで、行事予定表を見て悩みに悩んだ末、生徒や職員に1番迷惑がかかりにくい、3月初旬に早期退職することにしました。3月なら、3年生は卒業するし、他の下級生も、入試や春休みでほとんど授業が無いので、助手としての仕事はほとんどありません。なので、3年生を送り出して、私も愛知県を卒業しようと思いました。
そして、辞めることを正式に教頭に伝えたのが、年が明けて1月末。
しかし、この、辞めるということに関しても、学科の対応は酷かった。
学科主任には相談なく、教頭と話を進めていたのがバレて、学科主任に誰もいない製図室でめっちゃ怒鳴られまくったのはいい思ひ出(;´д`)トホホ…
まじで怖かったし、あの時ほどボイスレコーダー持ち歩こうかな、と思った瞬間はなかった。
てか、持ってりゃ良かった。そうしたら、その音声を管理職に叩きつけて、パワハラの動かぬ証拠になったのに…。
しかも、退職の当日も、退職の辞令を渡される時に校長から嫌味を言われ、分掌からは変な仕事を一人でやらされ、学科では最後の餞ならぬ、最後のパワハラ。もーここまで来ると、頭に浮かぶのは、「えーまた?うぜーなぁも〜」「めんどくさい」の一言ですよね。
そのパワハラに最後まで耐え切り、学校への憎しみと疲労と、新しいトラウマを胸に、私はその地獄の学校をあとにしたのでした。
ここまでが、実習助手として受かるまでの経緯でした。いやあ、書いててめっちゃ気持ちが重かったし、ダルかった。
でも、ここまで生き延びれたのには、学会の皆様の支えや励ましがあってこそ、だと思います。
つらいときにはいつも味方でいてくださった地区や女子部の皆様がいてくださった、限定期間の無い、不動の居場所があったからこそ、だと思っています。
学会、入って良かったと心から思います。
では、この次からは、今の私。実習助手合格を勝ち取った私がなぜ、また不登校になったのか。
そのことをお話していきたいと思います!やっと終わりが見えてきました。
頑張って書きますので、引き続きよろしくお願いします!(^O^)/