不登校の日常vol.31 受け継ぐ者、止める者
こんにちは、結井です。
あれからしばらく更新するのが怠くなっちゃって、ネタはあるのに書けないなーって感じが続いていました。
何か鬱々していましたが、今日は書けそうな気がするので更新できるところは更新しますね。
あ、そうそう。休職の件なんですけど、私は、今年の7月まで休職することにしました。
この決断を自分で下すのは、結構迷いました。
決して仕事が面倒くさいからなんて理由じゃないしね。
病気休暇が明けようとしていたとき、自分の体調や学校の状況を見ると、この体調と今のタイミングでの復帰は非常に難しいということは容易に分かりました。
処方される抗うつ剤が強くなって、薬が手離せない。安定剤も無いと時々ひどく自殺念慮が起こる。傾眠傾向が強い。
そして、仕事に関する記憶や、助手として働くという感覚が完全に寸断されている。この状態で学年末に向けて忙しい時期に復帰したって、ぶっちゃけ迷惑でしかない。
さらに、管理職と話し合った結果、来年度が始まってすぐに復帰について考えることは、年度始めでめちゃくちゃ忙しい管理職の仕事の負担を余計に増やしてしまうことと、まだ私の体調がすぐれないことから、それはいけないと私も思ってやめました。
それから、大きな理由がもう一つ。ここからが結構重要な話。
実は私が休職になると、学校は、私の代りに働ける常勤の実習助手を探し始めます。
要は、かつての私がそうだったような、臨時採用、期限付の方を探すのです。
そして、岐阜県の場合、期限付の契約期限は4月から9月末、そしてその9月末に契約更新されて10月から3月30日まで、となっています。(契約期限は各県・自治体によって異なります)
なので、私が最も早く復帰しやすいのは確かに10月ではあるけど、10月からいきなり今までいた教員が変わって私が復帰しても生徒や周りの職員が動揺するし、私もその中に入って動揺を気にせずいられるかと言われればそれは無理。さらに、代理の方も、9月末で契約打ち切り・退職となれば、他に拾ってくれる学校は全くないので、路頭に迷うことになってしまう。
同じ期限付、臨時採用で3年間働いた私には、身を切られるような思いでした。
私もかつては、契約打ち切りになった後、次の仕事先があるのか不安でいっぱいで、神経をすり減らした日々を送った身です。路頭に迷うかもしれない、と毎日恐怖心が付きまとっていました。
その恐怖や悲しみを、自分の早く復帰したいわがままで他の人に味わわせてはならない。
あの悲しみを経験した私が、人を悲劇に陥れようとしてどうする。
何のために私は信心しているんだ、誰のために信心し、学会教育部にいるんだ。
人に自分と同じ悲しみを味わわせたくないと言っておいて、何なんだこの有り様は!!
傲慢じゃないか!自分のことしか考えてないじゃないか!とハッとしました。
そして、その代理の方が来た場合を想定し、正式復帰は来年4月。それに向けたリハビリ的プログラムを今年10月から始めることにしました。そして、管理職にこうお願いしました。
例え私の復帰が遅れても、どうかその人は1年間幸せに働き、正規職員かどこかの企業の正社員になっていただきたい。と。
同じ悲しみを味わってほしくないから、1年働かせてあげて下さい、と。
そして、その人を探すために、私も協力させて下さい、と。
というのは、私の母校の大学は、大体今の時期から3月くらいにかけて講師や期限付実習助手の求人を待つ、教員採用試験不合格者の学生が何人かいます。その学生たちを、かつて自分が救ってもらったように、今度は私が救いたい、と思ったのです。
今は管理職が色んな所に働きかけて人を探しているため、私の出番はもう少し先ですが笑
でも、最近の唱題では、今度来る期限付実習助手の方はどうか学科や学校が合う方であって欲しい、私がその方を救いたい、自分がお世話になった場所に貢献させてください、と願うばかりです。
という訳で、私の不登校はまだまだ続きます。お付き合いよろしくお願いしますm(_ _)m