荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

結井はなぜ不登校に? vol.3

こんばんは〜(^^)

昨日、初めてツイキャスをやったんですけど、何と13人も入れ代わり立ち代わり訪問があり、うちお1人の方からコメントを頂きました。あんな拙いキャス…しかも昨日は緊張しちゃって、内容がほとんど最近読んだ本の宣伝みたいになっちゃったんですけど笑お越し下さった皆様、ありがとうございました(*´ω`*)

いつかは、学会のこと、実習助手のこと、自閉症スペクトラムのこと、その他の日常のことを語れるようになりたいです(*^_^*)

今週金曜の夕方から夜のどこかで、またキャスやろうと思います。

ライブ名は「ゆいりん会」です。(名前そのままとかツッコミはやめてね)

ぜひお越しください。コメント待ってまーす\(^o^)/

それと、今日のアクセス数が何と、今までの中でも最高新記録。26人になり、今月だけで何と90ものアクセス数になりました!アクセスありがとうございます。

今後も地道に頑張っていきますので、よろしくお願いしますm(_ _)m

 

さて、今回は、2回目の不登校のお話。

ちなみに、この不登校の期間は2週間ほどでした。今までしてきた4回の不登校の中では、軽い部類に入ると思います。

でも、この時の不登校期間は、その後の私の学会との関わり方や、私の人生を大きく変えた、ターニングポイント期間でもありました。

というのも、この不登校期間に私は、学会や、あること、の足固めをしていたのです。

それは何かって?この先を読んでいけばわかると思います。

 

2回目の不登校になったのは、9月に入って間もない頃でした。

巷でも、9月1日前後は小中高生の自殺が増える時期だと最近はよく騒がれますが、実は教員だってきついのです。

夏休みはまだ比較的業務が少ないので、ちょっと心も体もリフレッシュできることが多いのですが、それが2学期になるとね…。授業やら行事やら、忙しいんだ2学期ってのは。それになるもんだからしんどいよね。

当時の私もかなりしんどい思いをしていました。

私の場合は、夏休み入ってからまず教員採用試験の1次試験を受験し、それが終わると、あのきついきつい建設技術部の面倒を見たり、高3生の就職試験の面倒を見たり、兵庫県は姫路に手仕上げ実習、栃木県は小山市に旋盤加工実習の研修に、それぞれ3日ずつ行きました。そして、教員採用試験も1次試験を突破したので、2次試験を受けに行ったり、とオフィシャル的にかなり忙しかったし、この夏休みの間に東北旅行にも行ったので、プライベートも忙しくて、息をつく間が無かったのです。

それで、2学期が始まったとき、半分燃え尽きみたいな感じになっていました。

その状態で、またあの怒涛の日々です。1日中ずっと建設。しかもこのとき勤めていた学校は、週に2日7時間授業があったので、拘束時間が非常に長い学校でした。

私には耐えられる体力も気力もありませんでした。しかも、夏休み明けということもあり、私は夏休みの課題を採点することを頼まれました。その課題がね…。

建築の、木造建築に関する分野の用語の穴埋め問題や、記述問題の採点

しかも建築って1つの用語に対して言い方が多数ある。機械もそうだと思うんだけど。

でも、私が頼まれたのは、全く未知の建築の問題。でも、その座学の授業。実はその学校では行われていない授業、教科だった。だから、専門が機械の私には、そこまで完全に答えを拾い切ることができなかった。

本当に、模範解答通りにしか採点なんてできなかったよ…。めちゃくちゃしんどかった。

だから、折伏の親に連絡した。話聞いてほしかったし、気持ちを分かってほしかったから。

いつも、大体こういうのは、彼は、ものすごく分かってくれてたから、分かってくれると信じていた。

でもね、彼の返事は違った。

 

「今ここで採点させてもらっていることに感謝して進むことです」って内容のことが返ってきた。

 

今なら、そのことはよく理解できる。けど、この時の私は、味方なし、話せる人なしだったから、彼に対して、

「裏切られた」って思ってました。本当に。

そして、私を支えていた大きなものがこの時崩れて、私は仕事はおろか、学会活動もできなくなった。

これが、不登校2回目の原因ね。

畑違いとか、学校の劣悪な環境で、人間ってここまで思考力が落ちるんだーって思いますね。

普段ならちゃんと考えられることも、考えられなくなってたの。

 

で、この時の私。学校にいることさえ苦痛になって、1時限目終わった瞬間、学科で一緒に授業やってた先生に、「具合悪いから帰ります」って伝えて、教頭に年休申請して、ほぼ学校から逃げるように帰りました

すると、夕方、何と学科主任から説教の電話。「何で帰るならそのことを僕に言わないんだ。社会人として(ry」

ちなみにこの時の私は、完全にうつ状態でした。本当に頭が停止していました。なので一言。

 

あのさあ、うつで寝込んでる人に説教したって頭に入んないよ?

この人は多分うつで倒れたことないからこういうこと言うんだろうな〜…って思ってました。

 

ちなみに、このときの病名は、抑うつ状態」でした。不登校期間は2週間ほど。

この不登校期間中に何をやっていたか、というと…?

 

実はこの不登校期間を利用して、実習助手採用試験の対策をしていました。

実は、この年の4月、県庁に最新の教員採用試験の過去問を取りに行った時、たまたま実習助手採用試験の過去問を見たのです。

そして、「今、せっかく期限付実習助手で働いてるんだし、実習助手も受験してみるか〜。早く正規職員になりたいし」って軽い気持ちで過去問を印刷しました。

その後、教員採用試験2次試験が終わったあと、9月末に実習助手採用試験があるので、気分転換を兼ねて、機械系の過去問を解きました。「不登校の今だから、家に引きこもれるから、気分転換でやろ〜。誰にも文句言われないし〜」と思って。

抑うつ状態だったから、速度はタツムリの前進より遅かったです。でも、機械系の勉強だったから、わざとハードな勉強を課しても、やり遂げる自分がいました。

もう一度会いたい人たちがいたから。もう一度やりたい、やり残したことがあったから。

でも、どうしてもしんどくて勉強ができないときは、パソコンで面接で話す内容を書いてました。

 

でも、不思議なのは、抑うつ状態でろくに頭が回っていないのに、不思議と機械工学の勉強になると、ちゃんと問題が解けたのです。

それくらい私は、いつの間にか機械工学を愛していたんだと思います。

 

でも、学会活動はなかなかできませんでした。題目三唱もできなかった。

当時は法戦(学会が公明党を応援する期間。この時は2019年の夏の参議院選)が始まりつつあった頃で、私も選挙のお願いや、周りの人を折伏するように、折伏の親から言われていたのです。

でもさ…。

 

例え、折伏を3年されて、その間に任用試験も受かってて、学会のことを正しく知っていたとしても。

入会して数カ月の人に選挙のお願いや折伏しろって、いくらなんでも無理ゲーじゃありませんか?

でも当時は、折伏の親に結構冷たくされてて、やらないと罰が当たる。と思いこんじゃってました。

実際にはそんなことないんですが。

 

でも、当時、折伏の親の大きなプレッシャーにやられた私は、学会が怖いと思うようになってしまいました。

でも、私は、身近に相談できる人がいなかった。しかも学会のことだもん。親には言えない。

そこで困った私がしたことは…。

 

勇気を振り絞って、入会した区の女子部の先輩に連絡し、彼女のお家に家庭訪問しました

そこで、すべてを打ち明けました。学会が怖いこと、お題目が上げられないことがつらいこと。

学会に思う質問。「学会の人って、お題目上げないことってありますか?」とか色々尋ねました。

すると…。

 

「あーあるある!学会員でもお題目やらないことたくさんある!」←本当に仰ってたことです。しかも彼女は生まれた時から学会員の人です。

しかも、「落ち込んだとき、故郷の親に電話するんだけど、『さてはお題目してないやろ?声で分かるわ(ドヤア』ってよく言われるわー」吹いた。

ので。「自分のペースでやってけばいいよ(^^)」ってすごく朗らかに励ましていただきました。

さらに、若者目線からの信心というのを教えてもらいました。

今まで私は、座談会などで、ちょっと歳いったご婦人や壮年、折伏の親の関係で、男子部の人しかほとんど話を聴いたことがなかったので、自分とそんなに歳の変わらない女子部の方の話は、この時、ものすごく勉強になりました。

で、感想。

 

もっとのんびり、ゆるくやっても良かったんだ!

 

地域差はあるけど、実は女子部の活動って良い意味でゆるいんです。のんびり、明るく、朗らかにやってるんです。

婦人部、男子部は割とガチなのでグイグイ来ますが、(特に婦人部はガチ勢中のガチ勢←)女子部はゆるいです。もちろん、真面目に活動はしてますけど。やっぱり、女の子だもん

彼女の話を聴いて安心しました。何だか、心が軽くなって、「また女子部の会合行きます」って(多分)言ったような気がします。そして、その時久しぶりに彼女と勤行唱題をしました。私にとって、学会活動復活の第一歩でした。

その後、私は女子部の会合にも復帰し、女子部に一気に溶け込めました。

で、そこでも、「お題目やらないことってありますか?」と尋ねたら、「あるある!普通にある!」と異口同音に返ってきました。そして言われたのが、「どんな幹部の人でもお題目やりたくないって思うことたくさんあるよ」とのこと。

 

学会員も人間なんだ!って、当たり前だけど思いました笑

 

そして、その後、2週間の不登校期間、もとい病気休暇は明けて学校に私は復帰しましたが、復帰するやいなや、学校からは、こんな酷な対応あるかよ?!ってくらい酷な扱いをされた。

 

というのは、休む連絡をした時、診断書を取ってくるように教頭に言われたのに、まさかの受取拒否

しかも、病気休暇はすべて年休処理で、と指示された。というのは、私はこの時採用試験を受験した身だったので、何か聞かれたとしても年休で処理しておけば何も傷にはならないということらしいんだけど、多分嘘だよな。

というのは、この学校、管理職の保守が強く、なおかつ見栄っ張りで外面は良く、名聞名利のために色々やってた学校だったの。だから、病気休暇を取った職員がいるとまずいの。だからこれで逃げようとしたんだよね

でも、非正規雇用で来年どうなるか分からない私にとって、年休2週間取られるのは致命傷。

次年度の学校の打ち合わせや、健康診断やら書類集めやらで、年休使えんのは痛い。

それを訴えると、「もう任期満了まで休職したら?」とか、「2月で早期退職したら?」とか、要は戦力外通告されました。あれ?工業って人足りてないんじゃないの?

それで、その時は泣く泣く年休2週間申請するって感じにして、他にもやるつもり無かった、学校のイベントのための休日出勤も(本当は希望制)約束させられ、半泣きになりました。まあ後に事務に相談したら、幸いにも病気休暇申請できて、年休は1週間ほど取り戻すことができました。ありがとうございました、当時の事務員さん達。

でもね、建設科は、非難轟々でした。

誰も、復帰した私に「大丈夫?」とか、フォローの言葉をかけてくれた人はいなかった。

むしろ来たのは、学科主任の、「学科主任に体調不良で早退することの報告と、早退することによって生じる影響に関する指示がなかったことの説教」(;´Д`)

報告がなかったのは謝りますが、指示…。あのねえ。

 

そこまで考えられてたら、抑うつ状態になんかなってねーよ、バアアアアアカ!!(心の声)

 

しかも、非難轟々だったのは、学科主任だけじゃなかった。

夏休みの課題の仕事を頼んできた先生と生徒から、採点がなってない、とバッシング採点した生徒全員の前で謝罪させられました。採点もやり直し。病み上がり(っても治ったわけじゃない)にはきつかったわーまじで。

でもね、真実は話した。「私の専門は機械だから、分からなかったの。だから模範解答通りにしか採点できなかった」と。いや、「専門が機械だから」なんて言い訳にすぎないんだけど、夏休みの間に勉強することもできたと思うけど、あの時の私の精神状態を考えると、そんなことまで頭は回ってなかったと思う。

とにかく、畑違いの学科で生きること。1日学校で生きることが、当時の私に課せられた仕事だと思ってた

今になって色々私の能力を考えると、多分私にはもっと建設の専門に関わる仕事はできたと思う。

でも、それをやったら、確実に自分を見失うレベルで私は学科に飲まれる。隙を見せて仕事ができるのがバレたら仕事が膨大に振られることは学科を見て分かってたので、私は、他の人が自分の仕事に飲まれていくのとは逆に、敢えて仕事ができないふりをした。実際、(分からないからできないこともたくさんあったけど)人から頼まれてないものと、授業に関わるものでないものに限り、私はわざと仕事に関わらなかった。

それに、自分の方が仕事ができるってマウンティングや自分はこんなに忙しいって訳わからないアピール、自分はこんなに偉いんだぞって類のウザい目立ちたがりの人もたくさんいたから、その人たちに働いてもらった方がこっちも変なつっかかりや文句が来なくて楽だったからね。おかげで彼らは残業時間が深夜に及ぶこともしばしばだったけど、楽しそうに働いていたし、私は私で定時に上がって嫌な空間から早く逃れることができたから、Win-Winだったと思うよ?

今、指示待ちの若者が増えて困ってる大人とかいると思うけど、これは、理不尽な大人から自分を守るための若者の知恵なんです。

だって、自分からすすんで何かやれば小言言われて、じゃあ何もやらないとそれもガミガミ言われる。

ガミガミ言われるのだって、かなりストレスなんだよ?分からないの?自分も昔そうじゃなかった?

昔、言われなかった?自分がされて嫌だったことは人にしちゃいけないって

いやあのね、こう言うのはさ、私が偏見持っちゃってるってか、幼少期から曲がった大人に理不尽されて、イジメられて、出会う人たちすべてに出る杭をすべて打たれ続けて生きてきたからだと思うんだけど…。

 

今、学会とかで色んなもの、人を見てるけど、そういう理不尽されてきた若者って、今すごく多いです。

だから私も、学会の会合とかでそういう話を大人にぶつけることはよくあるんだけど、

大人は理不尽だ、って思う。

でも、私が教員人生で子どもに理不尽なこと全くしてなかったかと問われたら、それは違います。

今でも、タイムスリップ現象(詳細は前記事より。自閉症スペクトラムの症状の1つです)でフラッシュバックするよ、理不尽なことしちゃったこと。

学校去った今でも、土下座して謝りたい子どもたちは、たくさんいる。

理不尽を散々経験したから、やったことや言ったことが理不尽だと気づいたときのショックは大きい。ここには書けないくらい自分も傷ついた。

そういう心境だったし、そのバッシングでまた、最初の学校でバッシングされたことがフラッシュバックして、(ちなみに、最初の学校でも、ある事件があって私がクラスの生徒全員の前で謝罪させられたことがあります。事件の内容は、未だに思い出すと具合悪くなるから書けないけど)精神状態はズタズタだった。

 

そのズタズタな心のまま、実習助手の採用試験を受けに、9月末、岐阜県へ行きました。

さあ、抑うつ状態から無理やり起き上がった私が試験どうだったかというと…?

 

続きはまた次の記事で❣

またお会いしましょう(^O^)/