荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

不登校の日常vol.73 独女が婦人科に行ってみた

こんにちは!

日中に更新するのは久しぶりだと思います。

というのも、日中起きてても暇なだけなので、ついつい寝まくってしまう( ´△`)

しかもお金も無いとなれば、一番お金を使わない娯楽とは、寝ること。なので←

本当は、日中はダラダラ過ごしていても起きてなきゃいけないんですけどね…。体内時計が狂うので。

 

さて、今回のレポートは、婦人科に診察に行ってみたことです。

独身の女が婦人科にかかった、というと、妊娠したのか、とか色々悪いことを想像しがちかと思いますが、そういうわけで行ったのではないです。

今かかっている精神科の主治医の指示で、セカンドオピニオンとして行ってきた、それだけです。

 

というのも、私は今年の5月くらいから不眠がひどく、なかなか体調も良くありませんでした。寝ようとしても、体がひどくほてって、その熱で眠れない(風邪とかではない)、眠剤を飲んでも目が冴えてしまう。寝たとしても1時間おきに目が覚める、頻尿、動悸、息切れ、と書くと更年期?と思うかもしれないけど、私はまだ20代後半なので、更年期ではない…(と思いたい)

 

その不調が一向に治らないこと、ちょっと強い薬を使えば一日中眠ってしまうことから、主治医はホルモンバランスの異常が見られるかも、と考えたのです。

それで、産婦人科に行くように、とアドバイスをもらい、治療を進めるために婦人科に行ったのです。

 

ちなみに、結井が行ったのは、東濃の中でもわりと大きい産婦人科で、思春期外来や更年期外来、不妊治療もやっているところでした。

なので、甲状腺とかホルモンの検査とか、検査に関しては色々やってもらえる、んだけど…。

 

独身の女が1人で行くにはきつすぎた( ;´Д`)

 

えーっとですね、婦人科の恐怖の代名詞、内診。あれを、「婦人科にかかるのが初めてだから」という理由で、受けさせられました。゚(゚´Д`゚)゚。

まあ年齢的に、子宮がん検査を受けた方がいい年頃だったので、ちょうど良かったといえば良かったのだけど…。

 

下半身を(もちろん布の仕切りはあって見えないようになってた)お医者さんと看護師さんにおっ広げて子宮を覗かれるってね、羞恥と苦痛の塊。

まっっっじで痛かった。(←個人差はあると思うけど)

悲鳴上げまくりました。親知らずの手術でも悲鳴上げなかったのに。

男性諸君は多分耐えられないんじゃないかな。

 

でも、看護師さんが、「力抜いて〜!深呼吸した方が痛くないよ〜!(^^)」って仕切り越しに励ましてくださってまじで神。

というか産婦人科の看護師さんってみんな優しいのね…。行って初めて分かりました。

あと、お医者さんも精神科の主治医同様、話しやすい人だった。ので、来週の検査結果のお話の時にも、色々詳しく教えてくれるかもしれない。

私も、あらかじめ自覚症状を手帳にメモしておいたので、抜け無く症状を話すことができました。

 

独身の女が婦人科、というと、どうしても不純な理由で行ったのか、と思われがちだし、内診が怖い、恥ずかしいから行きたくない、とためらう女性も多いと思います。

でも、婦人科って第2の内科ってくらいすごく大事なところだと思います、今回行ってみて。

最近は、婦人科の先生が女子高に健康相談で来られる時代でもあるし、保健師さんも女性に婦人科へ行くように指示を出すことがあります。(私も、実は数年前に、職場に来た保健師さんから婦人科受診を指示されていました)

だから、体の不調で婦人科に行くのは、風邪をひいたりお腹が痛くて内科にかかるくらいのテイストと同じだと思います。

なので、内科でも心療内科でも体の不調が治らない女性の皆さんは、ぜひ大きめの産婦人科にかかってみてください。

 

あと、世の男性諸君、女性には乱暴しないように。

 

追記

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婦人科にかかった後は、ご褒美としてタリーズコーヒーのティラミスミルクレープを食べました。

でも、ミルクレープと言ったらやっぱりドトールの方が美味しいかも笑

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プレーンのミルクレープじゃないと美味しくない気がする(・ω・`)

私の活動体験vol.20 描き切る、文芸部のプライド!

久しぶりに学会関連についての記事を更新します。

コロナで学会も活動自粛が続いて、なかなか活動らしい活動もできず、私の信心ははっきり言って停滞していました。でも、私は内密信仰なので、ある意味仕方ないと思えば仕方ないのですが…。

 

そんな孤独の中でも、徐々に自粛が緩和されてくると、家庭訪問が復活し、私は一人暮らし先の地区の本部婦人部長さんや女子部長さんたちの励ましを受けられるようになって、徐々に活動も意識が戻ってくるようになりました。

また、教育部のオンライン座談会オンライン研修会を通じて自分の現状を先輩たちに訴えることができるようになりました。そのオンライン座談会の時、今まであまり話せなかった女子部の方が毎回のようにDMを下さり、彼女と少しずつ友情も芽生えてきました。

そんな教育部の活動は、毎年秋にひとつの節目を迎えます。

 

「教育実践記録運動」

 

という、創価学会創立当初から教育部で続いている活動です。

そして、「教育実践記録」(←以下実践記録と書きます)とは、学会に属する教育現場で働く人達が学会の教え、御書や池田先生の指導に基づいて、この1年間、どう頑張ってきたかを記すレポートのようなものです。

教育現場で働く人なら誰でもトライできます。

教育部に属する人は、こども園や保育園の先生、習い事の先生から大学職員まで、とにかく幅が広いです。私も工業高校の機械系実習助手なので、教育部に属しているし、参加権があります。

というわけで今年も「実践記録にトライ!」となったのですが、私は最初、正直気持ちが乗らなかった。

抑うつ状態が続いていたのが最大の理由ですが、その他にも理由はあります。

実は私、実践記録へのトライが今年で2回目なのです。昨年教育部にデビューしたので、昨年初めて実践記録を書きました。ちなみにその時は、

 

大学卒業後の講師時代→折伏されていた期間→入会・現在と4年分の実践記録を書いたので、Wordで60数枚の実践記録となりました。

 

ちなみに昨年の岐阜県の実践記録で最高枚数だったらしいよ((( *´꒳`* )))←ダカラドーシタ

このことは、もともと小説とか書いてた私にとって大きな自信になりました。

 

今まで作品らしい作品を書いたことがなかったけど、私にだって文章は書ける!と。

しかし、自信満々で諸先輩方に実践記録を渡して読んでもらったところ…。

 

バッシングの大嵐(ºωº;≡;ºωº )

 

「内容が暗い」

「実践記録に関係ないことが多すぎるし、その部分が長い」

「これは実践記録ではない」

私、何のために実践記録書いたんじゃ…。

しかもその後参加した中部の実践記録活動報告会での実践記録発表が…。

いや素晴らしかったよ、素晴らしすぎて、私、何やってたんだって…(語彙力崩壊

これが完全に私の自信を壊しました。そして、諸先輩方に言いました。

 

「もう来年は実践記録なんて書きません、私には書けません…」

 

しかし、その後紆余曲折あって、馴染みの教育部の先輩が私の実践記録を読んだことにより、事態は好転したんですけどね。

その時のことをまとめると、発達障害の人は絶対、何らかの方法で自分のことを書き綴った方がいい」

 

その先輩は実は特別支援の専門で、私が自閉症スペクトラムを持っていることを知ってはいました。でも、「知っている」のは表面的なことで、私の深い内部までは見えていなかったそうなのです。

そのことを謝罪されると同時に、彼女は私の自閉症スペクトラムに関して支援・指導者になりたい、と仰り、今では私の主治医より主治医らしい存在です。

そんな先輩の励ましや、8月に実現した中部教育部長との対話によって、私は「自分の発達障害精神疾患と闘う教員」の存在を世に知らしめることの必要性を感じ、再び実践記録を書くことにしました。しかし…

 

「書く」という行動に移るまでが長かった。

抑うつ状態や集中力がないこと、文を書くアイディアが湧かないこと…。

物書きとして最大の苦しみ、「生みの苦しみ」に1ヶ月近く悩まされました。

が…ある時ふとしたことがきっかけで、とうとうアイディアがひとつにまとまりました。

そのアイディアとは…

 

「誰も置き去りにしない」

 

この言葉は、中部教育部の大きなスローガンでもあります。

私は、今回のコロナ禍で、学会との一切の関わりを寸断されました。会合はなく、座談会も何もかもが寸断され、本当の「ひとりぼっち」になりました。

これでも10代の頃は、いじめや突然の仲間外し、教員からの理不尽によってかなりの人間不信になっていて、「人間なんか大嫌いだ、誰も私と関わってくるんじゃねーよ」「人間なんてどうせ裏切る生き物で、『自分さえ良ければ』って思ってるんだろ」と、自分から独りを選んでいたんですけどねー(;´∀`)

でも、大学から自分を受け入れてくれる人が現れ始め、教育実習で学会と出会い、折伏されて入会して、たくさんの人と友達になってからのいきなりのひとりぼっちは…。

 

めっちゃしんどかった(´;Д;`)

 

そのことや、現在の日本では、精神疾患で休職を余儀なくされる先生方がたくさんいること、先生はみんな充実した過去を過ごしてきたわけではない、自身がいじめや親からの虐待、教員からのアカデミックハラスメントを受けてきた経験を持つ先生もいること、発達障害を持っている先生もいること…。

輝かしい実践記録の方が学会としても誇らしいのかもしれませんが、

誰も知らない暗闇の世界で、ひとりぼっちで闘っている先生もいる-だから、どうかそういう先生たち、それから、何よりもそういう生徒たちを置き去りにしないで、という私の心からの叫びを一気にWordに叩きつけました。

 

だいたい1〜2週間くらい?で書き上げたと思います。かなりギリギリセーフで提出したので、いつから書き始めたか正直記憶が無いのですが、書き終わった時はホッとしました。ちなみに今年は28枚でした。今年1年分しか書いてないしな(゜∀。)

書き終わったあとは、中部教育部長や教育部の先輩、岐阜県の教育部のリーダーに提出しました。

その提出したあとが最もヤリキッタ感アッタンダケドナ←

 

そうしたら、中部教育部長から新ミッションを出されました。(中部教育部全体に)

・今年1年間で自分が1番教育現場で頑張っていたと思われる写真を提出せよ

・実践記録を1000字以内にまとめ上げよ

 

実践記録は頑張れるけど、写真…、写真って何送ればいいの?!(|| ゚Д゚)

今年も不登校だったから、季節の風景写真しかノコッテネーヨm9(^Д^)プギャー

それなら、職場近くまで行って、一通りまた写真…やって…こようかな∩(´;ヮ;`)∩ンヒィ~~~~~~

 

新しく悩みが増えている結井氏でしたとさ。

 

(追記)
いや、写真といえば一応あるんだけどね!

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モリコロパークで9月くらいに撮影したのとか
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つい先週京都の銀閣寺で撮影したのとか
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でもやっぱり岐阜県で撮影しなきゃ意味ないよねー(  ・ˇ∀ˇ・)アハ八ノヽノヽノ \ / \

不登校の日常 vol.72 定かではないけれど

こんにちは!

今日は通院日だったので、いつものかかりつけのクリニックへ受診に行きました。

そうしたら、主治医にプチ怒されましてw

というのも、昼夜逆転生活を治すべく、朝お風呂に入るようにしたよ!(´∀`*)」と言ったら、

「入浴(湯船に浸かること)は夜にやらないと、入浴後体温が下がって眠くなるよ(。-_-。)」と逆に突っ込まれました(・ε・`)

朝はシャワーくらいなら良いのですが、湯船に浸かると体温は著しく上昇し、その後低下して眠くなるので、昼夜逆転が治らないのだとか。

 

あー面倒くさーい(´;Д;`)

 

そして、さらに結井氏、5月くらいから夜中に体がめっちゃほてって、そのほてりのせいで暑すぎて眠れん!という症状に悩まされておりまして…。

しかもそのほてりって一時の体温上昇じゃなくて、夜中にずっと続いてるのな。

夏でもないのに冷房入れないと眠れなかったり…いや冷房入れても眠れんかったのだけど。

それを主治医に話すと、「ホルモンバランスが崩れているかもしれないから、産婦人科にかかってみたら?

と、まさかのgo to産婦人科命令(|| ゚Д゚)

まあ、結井氏、実は過去にも職場の健康診断で、血圧が高い(←メタボとかそういうのではない)ことやその他のことからも、産業医さんから「精神科と婦人科にかかった方がいい」とは言われてたんですよ。

あと、生理の時、生理痛は言うてしんどくないのですが、眠気がやばいのと生理後の貧血がやばい。

そのため、職場の保健室の先生にはよくお世話になってました(´-` )

あと、一時期、動悸がやばかったり、ちょっと動いただけなのに疲れがすぐに取れずに、何時間も動けなくなったりした時期もあったので、ぶっちゃけホルモンか甲状腺?あたりがおかしいような気はしてたんですよ。

でも、当時かかってたメンクリの血液検査では、「甲状腺、腎機能、肝機能に異常は見られない」と言われていたので、何だかなあ、と思いつつ、婦人科受診をずっとためらってたんです。

あと…独身女性で独りで婦人科にかかるってのも何か怖くて…。

取っ掛りもなく行くってのも正直気持ちが乗らなかった。でも、とうとう今の主治医から

「婦人科に行きなさい」、と言われた以上は行かないと治療が進みませんよね。

 

親に言うと、また「あんたが暗示にかかりやすいだけだ。そんなことは誰にでもある」「あんたは人の話を真に受けやすい」「深く考えすぎだ」とか言ってくるだろうから、今回は親に言わずに行きます。

精神科にかかるとなった時もそういう一悶着があったので、もう自分で決めていきます。

親の言葉でとどまって、でも心の中はモヤモヤが溜まって、そのせいで自分の体の不調がいつまでも治らなければ、職場復帰はまず不可能になるし、明らかに「自分の体がおかしい」と不調を訴えているのに無視し続ければ、絶対いつか酷くなって返って来て、その治療の方が大変だと思うので、恥を忍んで単独で行って自分で納得できる診察結果を得た方が自分のメンタル的にもいいと思います。

第一、自分の具合が悪いのを不安に思わない人なんていないと思う…。しかも、それに関する考察を「深く考えすぎ」「人の暗示にかかってるだけ」って、いやいや、もしその結果が大病だったらどうなんでしょうね。

取り返しがつかないかもしれないし、今すぐ治療しないと危ない病気とか症状だったら、とか考えないんでしょうね。

少なくとも、そういう親の無理解が、私の精神疾患からの回復を遅らせたことは間違いありません。

 

精神疾患患者にとって、最も回復を妨げる物は、「家族の無理解」です。

風邪とか色んな病気がそうなように、精神疾患も、なりたくてなったわけじゃないんですよ。

職場、プライベート、家庭…色んなストレスを知らず知らずのうちに抱え込んじゃって、処理できなくなったのが精神疾患ですから。

ぶっちゃけ、私の今の病状も、色々調べてみたところ、どうもただの適応障害抑うつじゃない可能性が出て来ました。多分色々な面から考えてみるに、統合失調症の可能性が出てきました。そして、統合失調症はそう簡単に回復するものでは無い(うつ病もそうだとは思いますが)し、ちょっとしたストレスが原因で、これまで体調が良かったものが急に抑うつ状態に逆戻り、なんてこともよくあるのだそうで…。

特に今までの不調のメカニズムを解くと、親の無理解や急にくる過干渉で心がやられた後にオーバードーズ抑うつ状態などが出てきているので、可能性は否定できません。

何かしんどいですよね、自分たちは一生懸命育てたつもりなのに、そのせいで子どもが精神疾患になってしまった、って。

ひょっとしたら、親としては「自分の失敗を認めたくない」「自分の知らないところに子どもが行くのを嫌がっている、怖がっている」のかもしれないですが。

ともかく、長年自分を苦しめていたものを仕留めるために、まずは婦人科から行ってみようと思います。

ドクターマーケットにならないようにはしたいですけど…(;´∀`)

 

追記


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今日ちゃんと病院に行けたご褒美に、栄のラシック地下にあるパンケーキ屋さんで甘くないパンケーキを食べました(*´罒`*)サーモンとアボガドのパンケーキです。

ここのお店はスフレパンケーキ専門のお店で、ナイフで切らなくてもフォークだけで食べられるフワフワパンケーキがまじで美味しい!(↓↓↓写真のはハニーバターのパンケーキ↓↓↓)

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テイクアウトもやってるので、栄のラシック来た時はぜひ!

 

 

 

 

 

 

不登校の日常 vol.71 療養はつらいよ

こんにちは。9月くらい?に復帰プログラムが無理、となって以来の更新です。

2ヶ月ほどのご無沙汰でした、皆様お変わりないでしょうか。

 

取り敢えず結井、生きてます。

ただ、うつ状態がかなり酷く半日以上寝たきりの状態が続いていました。

酷い時は一日中寝たきりで、生活がままならず、食事もお風呂も無理、という状態になった日もあります。

 

でも、何とか生きています。そして時々ではあるけど、自転車に乗って外をうろついたり本を読んだり、学会のオンライン会合に出たりしています。お題目は…時々。でもまだ継続する力は無いかな、という感じ。

ただ、今回の療養は職場の管理職が公式に司令した療養であること、敢えて実家と距離を置いている、ということが今までとは違います。その分、うつ状態が酷くても、自分の症状に集中できているので、回復は今までの中でもかなり早くできると思います。

 

今後の不登校のレポートとして、その酷かったうつ状態の時の体験と、その時の学会活動について綴っていきたいと思います。

今の療養の内容としては、「まず陽の光を浴びる」「日中に散歩とか活動ができるようになる」 「夜は眠るようにする」

まあ要は、

 

「テメエそのダラケた昼夜逆転生活改めろやゴルァ( 👊💢º⊿º )👊」from主治医 

 

なんですよ(  ・ˇ∀ˇ・)アハ八ノヽノヽノ \ / \←aho

 

1人で一日中家にいると何やっても怒られないし急な過干渉もないご飯作らなくても誰も不自由しない(自分は不自由になるけど←)から、自分のうつ状態に体を預けて横になっているとね、どんどん起きるのが遅くなるんですよ。で、起きてから家事とかお風呂とかやると、本来体温が下がってなきゃいけない深夜に体温が上がって、「The不眠」のできあがりなんですよm9(^Д^)プギャー

うつ状態もきついけど、不眠のしんどさはまじでやばい。いや、本当にやばい。うつ状態よりもやばい。

本来だったら寝ている時間に(眠剤も飲んでる)目が冴えてギンギンになってるのって、しんどい

しかも、「夜は寝なきゃいけない」って人間の本能的に思っちゃうからそれがプレッシャーになっちゃうんだよね。

結果、ストレスだけが残って、またうつになって、の繰り返し。

 

これじゃあ親の過干渉がなくなっても治らん!( `皿´)キーッ!!

 

というわけで、今日から夜に入ってたお風呂を朝に入り、無理やり体を起こすようにしました。

教育部の実践記録も書き上がったので、ブログも再開していこうと思います。

少しでも日中長く動けるように、まずはそういった自分の好きなこと、一日のうち絶対やらないとダメ(結井は毎日お風呂入らないと全身がかゆくなる)なことを朝に持ってきて、体の生活リズムを治していこうと思います(´∀`*)

 

追記


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11月、スタバはレアチーズとストロベリーのフラペチーノが人気ですが、私はマカダミアトフィーとジンジャーラテという裏側メニューが好きです。

フラペチーノ、甘すぎるし寒いもん…:;((•﹏•๑)));:

 

それではまた~(^-^)/

 


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不登校の日常vol.70 ひとりでパーリナイ

こんばんは。4連休もあっという間に終わりましたね!コロナも落ち着きを見せ始めたこともあって、お出かけとかされた方もいるのではないでしょうか?

 

私は、奥飛騨とか上高地とか高山に行ってきました。

もちろん、久しぶりに愛機のNikonD5100も一緒に!

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でも今回のお話は、この旅行のことではありません笑

旅行のことはまた後日に…(レフの撮影データをまだPCに起こせてないからなんて言えない)

 

では、今回のお話はと言いますと!

一人暮らしの料理レポートです(*´∀`*)

 

抑うつ状態の時もあって、完璧なご飯を作るのはまだまだ難しいですが、最近はうつに有効なものをなるべく取り入れるようにしています!

要はタンパク質重視のご飯です。

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豆乳・豆腐パンケーキ
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豆乳クリームパスタ など。

ちなみに一人暮らしあるあるのフライパンから直食いw

この他、ご飯食べるのが楽しめるように、ホットプレートを使って

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キャベツやトマト、ナスなど余った野菜を使った野菜餃子を作ったり、

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冷凍パイシートをソーセージに巻いた、ソーセージパイを作ったりしてみました!

冷凍パイシート良いですね、パン屋さん行かなくても、美味しいデニッシュが作れます(*´꒳`*)

 

抑うつ状態で動けないことが多いですが、簡単で楽しく作れるもののレパートリーを増やしていこうと思います!

不登校の日常vol.69 やっぱりな

お久しぶりです。1ヶ月ぶりくらいに更新します。

コロナの再流行もあって、9月から、急ではあるけど復帰プログラムが始まってしまう、というのが前回のあらすじ。そして、その後どうなったか、と言いますと…?

 

復帰プログラム、一旦中止になっています。しかも開始から5日足らずで。

そして今は主治医の診察日を待つため、また例によって一人暮らし先で療養中です。

早すぎるし急すぎると思っていたのはやっぱり暗示とかじゃなくて本当で、復帰プログラムが始まる前日は軽くパニック発作みたいなのも出て、学校行けないんじゃないかと思ったのですが…。

教育部の先輩や、一人暮らし先の地区の女子部の方の励ましで何とか行くことはできました。

でも、職場で私を襲ったのは…。

具合が悪くなった記憶のフラッシュバックや、かつて自分が知らず知らずのうちに思っていた、周りと自分の仕事の実力差に対するプレッシャーでした。

工業高校の専門学科の教員は、経験値と専門知識をかなり要求されます。だから、実を言えば、高校も普通科を出た教員より工業高校の同じ学科を出た教員の方が、仕事は遥かにやりやすいと思います。

私は普通科を出た後で工学部を出ただけ、更に非正規雇用で学科を転々としたため、一つの学科への基礎がついていないのです。数々の畑違いの学科に居なければならなかったこと、それに耐えられなくなったことが具合が悪くなった原因の一つでもあったのですが…。

周りは普通に仕事をしている中、私は実習も製図も特に付くところが無かったので、独りで何をやればいいのか全く分からなくて、職員室で本を読んでいるか、図書館で雑誌をめくるくらいしかできませんでした。

その中で、自分が何もできないことにプレッシャーを感じたり、実技の練習がしたかったのに誰かに付いて教えてもらえなかった(実技は工作機械だから危険度は命に関わるレベルなので、初心者は絶対に誰かについてもらわないとだめ)り、資料が不十分で取り付く島が無かったりしたことが、日が経つにつれてどんどん思い出されてきて、学校に行きたくない、行けないという思いがまた膨らんできました。

未来の物事や自分の至らなさを悲観的に捉えるのは、自閉症スペクトラムの特徴だそうですが、それに対して支援は何もありませんでした。

発達障害に関して一番気を遣わなくてはならない現場がこうだというのが、今の教育現場の現状です。

復帰プログラムも、1週間くらい半日勤務があった後は、いきなりフルタイム勤務、しかも2ヶ月ぶっ続けでした。

あまりにも形式的すぎて、個々に合わせたプログラムという感じはしなかったと思います。

いささか無理矢理、横暴とも取れたかもしれません。

でも、またいつコロナが再流行するか分からない世の中で、休職期間ずっとコロナの影響で復帰プログラムができずにクビになるという事態を、管理職は防ぎたかったんだと思われます。(←教育部の先輩の考察)

 

もちろん、私だって命がけでこの実習助手という職に就いたのだから、必ず復帰したいという思いはあります。

ただ、すべては早すぎた。いずれ起こるだろう事態だと私は察していたので、「やっぱりな」というのが私の本音で。

ですが、私に悔しさが無いかと言われれば、それは違います。「悔しい」としっかりと感じました。だから、必ず復帰できると思います。悔しい、はやる気の裏返しですから。

 

私の活動体験vol.19 私だけの道筋

こんにちは。連日暑くて到底ブログなんて書けたもんじゃないと思いますが←

更新です。今回、初めて中部教育部長と懇談させていただき、今までにない自分の可能性に気がつくことができました。そして、何より「誰も置き去りにしない」という池田先生の昔からの教えを変わらず実践している教育部長と幾重にも共感のチェーンをつなぐことができたのも、本当に感謝の思い出いっぱいでした。

それでは、その懇談の詳しい内容を…どうぞ!!

 

中部教育部長は、もともと私のことを教育部の研修で知ってから、ずっと私が悩んでいることを気にかけていたそうです。そのことはもともと知っていたのですが、なかなか話す機会がなく、更には申し込んだ教育相談がコロナの自粛で中止になり、相談したくてもできないという状況が1年近く続いていました。

その中で、急遽先輩が名古屋に教育部長がいらっしゃるという情報をご本人から聞き、私に教えてくださったのです。藁にもすがる思いで教育部長のところへ行きました。

そして、今抱えている不安、今の現状、これまでの怖かったこと、つらかったこと、ありのままに打ち明けました。

そして、なぜ教員を目指したのかを問われたので、それもありのままに話しました。

私がなぜ教員になったのか、それは、

 

理不尽や学校不適合などで学校に行きたくない、学校が嫌だ、合わないと苦しんでいる子どもを助けたい

 

からなのですが…。更には高校生のときに受けた未曾有の理不尽もクラス単位のパワハラも話しました。ちなみに、なぜここまで徹底してありのままにぶつけたかというと(ちょっと宣伝になるけど)中部教育部長は、中部で数々の家庭懇談会の活性化や不登校・引きこもりになった子どもたちの蘇生のドラマを起こしています。その活動は、昨年秋に全国の教育部研修会で講師を務め、さらに学会から何かの賞を頂き、聖教新聞の一面に載ったゴッドオブゴッドティーチャー(←言い方ダサくてごめんなさい)なのです。

中部の教育部の人なら誰か分かるよね!!察して!!←分からなかったらまじでやばいぞ

 

そのゴッドオブゴッドティーチャーの、私に対する答えは…。

 

適応障害になって良かったんじゃないの?(゚∀゚)」

 

は?!(・・;)

 

適応障害というのは、

要は適応するための環境に障害があるから適応するできない、つまり私は正常な人間ですというのが出ただけなんだよ。良かったじゃないか、正常な人間で(^^)

もしそんなヘンテコな学校に適応していたらもっと性格悪くなっていたと思うよ?

 

確かに、言われて今まで病気になった学校のことを思い返してみました。

最初の学校は女性差別・管理職の隠ぺい・各種ハラスメントが渦巻く、古き悪しき学校でした。

そこに適応していたら、私は平気で嘘をつく人間になっていたでしょう。

 

次に病気になった学校は、まだ新設校だったこと、進学に重きを置く工業高校だったため、教員たちが名聞名利に狂い、工業高校で行われる教育として本当に大切なものを失った学校。さらに私がいた学科は、自分の思い通りにならないと人に当たる、悪い者・弱いものいじめを複数の職員の前で平気でする、目立ちたがり屋(数人普通の人もいましたが)、の多い異常な学科でした。そこに適応していたら、私は嫌なことがあると生徒に当たり散らして発散し、変に目立とうと無駄な仕事をしていた最悪な働きぶりをしていたと思います。

 

最後に、今の学校の学科は、自分勝手な人が多く、相手が今どんな状態なのか・相手の裏にある状況や相手の気持ちを考えずに言いたいことを生徒や職員に言う人や、自分の世界に入ってしまう人が多いところでした。

そこで適応していたら…。私は自分勝手で、今スローガンとして掲げようとしている「影の子どもたちに目を向ける」なんて考えもせず、感じの悪い先生だと思われていた、というか、さすがにここまでくると想像を絶します。

だから、そういう悪い環境に適応できない、正直な正常な人間だったというのを気付かせていただきました。

 

さらに、私の自閉症スペクトラムのことに関しても、自閉症スペクトラムは男性に多い発達障害で、理系に特化した子や芸術系に特化した子が多いから、今後結井さんのような先生が必要とされると思うよ」「この手の発達障害は、なっている当事者にしか分からない。机上の理論だけ分かっている人ではダメだ。今は発達障害の子どもも増えているから、発達障害を持った先生というのはすごく使命がある」と、全肯定されました。主治医でもそんなこと言わなかった( ゚д゚)

 

さらに、理系か芸術系に趣味が傾くことについて、私自身も今まで数学や物理、機械工学と好きなものが理工系に傾いたり、クラシック音楽やジャズ、イージーリスニング、バレエといった芸術が好きだったりするので、

すべてこのためだったのか!と目からウロコが落ちました。

 

何も無駄はない。全てを活かしきっていけるのがこの信心です。信心する前のことまで活かされるのを、この時改めて確信しました。

また、やはり影の子どもたちや苦しんでいる子どもたちを救うのが私の使命なのだ、とも。

 

今まで私は異口同音に「人と関わらない研究職が良い」と言われてきました。

でも、研究職に就きたくても、そのためには大学院に行く必要があります。私はそれを経済的な理由で泣く泣く諦めたので、「研究職に就いた方が良い」という言葉には、無責任さを感じます。

しかも私は最初、機械系の大学院を目指していたのですが、大学院を出たあと何をしたいかビジョンが無くて、ずっと困っていました

どこかの研究所に勤めるにしても、今の日本の研究職は果てしない競争社会・男社会です。そして、科学技術に関して日本はほとんどお金を投資してくれないので、研究者たちは切り詰めた生活をせざるを得ない。しかも機械系となればそれは尚更。

その中で、人脈もお金もない私には何もできないし、経済的にも非常に難しい問題があります。

だから、研究職にはならないと思います。その代わり、そういった専門的な知識を得ることだけは怠らず、その知識を使って、目の前の子どもに貢献する。それは続けていきたいと思います。そのために、日々色んなものに目を向けて、色んなものを吸収していきたいと思います。

そのための自閉症スペクトラムであり、変に傾倒した趣味だったのかと、自分の運命が見えた瞬間でした。

 

対話を進めていく中で、中部教育部長は今まで私が見てきた先生とは違って、私に高圧的な態度を取ることも、変な自慢話をすることもなく、本当に私を包み込んでくださっていました。今まで私が暗闇の中で見ることができなかった、影に埋もれていた光をまざまざと見せてくださいました。

自分が今後必要とされる教員、要は先駆者だなんて思ってもいませんでした。

 

さらに、復帰プログラムはその学校に適応させようとするものだから、適応なんてしなくて良い。自分が必要だと思うことをやれば良い。そのための復帰プログラムだよ。

大学院に行きたいなら、発達障害や特別支援について勉強できる大学院を探せば良いじゃないか。

その言葉で、私の心に再び火がつきました。

 

発達障害や特別支援について、勉強したい。精神医学を学んで、自分の状態や母親の状態、発達障害とは何かを勉強したい。そして、それにどう対応していけば良いか、学びたい。

 

それが今の私の夢になりました。

 

正直言って、今の体調はあまり良くありません。復帰プログラムを急に1ヶ月早められたことによる精神的ダメージは大きく、前より鬱っぽくなって、動けない時間も増えています。

でも、動けるときは自閉症スペクトラムや精神医学など、興味のある本を買って読んでいます。学校はまだ行きたくないけど。

でも仕事を辞める気はありません。

なぜなら、私は私が自分で気がついた使命を果たしてみたいし、ますます専門分野に関して知識を深めて勉強したいからです。

命がけで今の職に就いた未練もあります。

だから、自分がいつか

「あー使命とかいうやつやりきった〜」と思えるその日まで、この仕事を続けていきたいと思います。

 

また、私はこの対話を通じてあることを確信しました。

実は中部教育部長、本当は教諭の初任者研修で講義を行っているほどの偉い人物です。

普通の教諭が気軽に一対一で対話、なんてまずできない方です。

また、彼の教育部での講義は、お互いが学会員だからこそ本心でガンガンにありのままの話が聴けるし、やはり教育が学会の核になっているだけあって、常に教育の最先端の話を聞くことができます。

私は、これまでの職場で色んな初任者を見てきましたが、彼らが受けている研修の内容を聴いて、「めんどくさそう」とか、「内容が胡散臭そう」「内容が古そう」とか思ってしまっていて、とても自分も受けたい!と思える内容ではありませんでした。

だから、私が今まで教諭の採用試験に落ちまくり、初任者研修の無い実習助手に受かったこと。

それは、

学会教育部という教育の最先端かつ最前線の中で研修を受けるためにあったのだと。

 

意味のない研修は、正直自閉症スペクトラムの私には無駄な時間にしか思えないので、自分に正直な私は教諭になって初任者研修なんてやろうものなら、とんでもなく不真面目な初任者だったと思います。もしくは、もっと心が壊れていたと思います。

 

私に合った研修、私にこそなし得なければならない使命、そのために今までがあったのかと、この時すべての物事が一気に繋がって、納得できました。

まだまだ体調・精神面での闘病は続きますが、諦めずにゆっくり進んでいこうと思います。