荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

私の活動体験vol.18 奇跡の対話

今年のお盆は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、ゴールデンウィーク同様外出は自粛になった。

つくづく、コロナウイルスが私から奪った数々の大切なものを偲ばざるを得ない。

東京やみなとみらいへのオーケストラ鑑賞、あてもなく長野や東北を彷徨って風景撮影に勤しんだ夏の旅行。

家庭懇談会、色んな会合。遠いところに住む友人たちとの再会。幸い不登校中であまり使えるお金が手元になく、自由に行動するのは少し金銭的につらいため、一人暮らし先に閉じこもらざるを得なかったのは運が良かった。

でも、復帰プログラムを9月から受けなくてはならない現実に、私の心はヒリヒリしていた。

まだ全然心の準備ができてないのに、あの学校に戻らなきゃいけないの?

あー誰かと話したい。いや、こういう時は大体教育部の先輩たちと話がしたくなるのだけど、みんな仕事が忙しいのを知っていたから、ためらって連絡できなかった。

その現実への不安を感じて嫌な気持ちが心にくすぶっていたある日。

東京の専門学校で学んでいた、教育部つながりの友達から連絡が入った。

「帰省しました、明日の夕方会えませんか?」と。そして彼は明後日、教育部の先輩と会うらしい。

これは会わなければと思った。今ここでコロナをビビってたって何も始まらない。

多分3人で会えば話は必然的に彼に向くだろう。先輩は彼を中学生の頃から見てきたのだし、私とは付き合いが浅い。それでもそれで不平不満を言うのは間違っている。彼は年齢からして私の教え子と歳が変わらない。

もし私の教え子が何かにひどく悩んでいたら、居ても立ってもいられない。そう考えると、心は定まった。

3人で会おうと決めた。しかし、会おうと決めた矢先、先輩から連絡があった。

彼の精神状態は、彼が送ってきたLINEの文章からは到底想像できないレベルで病んでいた。

しかも先輩も今年度はかなりきつい仕事をしていたらしい。昔、大きなうつを患って、学会活動で蘇生したその身でさえその仕事はきつかったそうだ。再び主治医にドクターストップをかけてもらったらしいが、学校は無情で聞いちゃいない。また倒れてしまうのではないか、そんなギリギリの状態での再会になることと、コロナの予防は万全に、との内容だった。

それを見て、私は思った。

少しでも先輩の負担が減るように、せめて彼の話だけでも聴きたい、と。

いや、ここで聴いたほうがいくらか楽になれるかもしれない。そして、私が聴けなかった分や本当にやばいところだけ先輩に話してもらえば時間短縮にもなる。なるべくコロナの感染リスクを下げなければ。

 

そう思って私は彼に電話した。そして、大した励ましはできないけど、何があったか話せる範囲で話して、と言った。

 

彼の置かれた状況は、あまりにも悲惨だった。

新聞奨学生、要は新聞配達をやる代わりに専門学校の学費がもらえるというものなのだけど、新聞配達はこれまで体がそんなに強くない彼にとって肉体的にも精神的にも負担だった。

まず1日のサイクルが普通の学生とは異なる。起きる時間も寝る時間も異なる。その間に専門学校での授業。終われば今度は夕刊配達。しばらく休むけど、起きたらまた朝刊の配達のために新聞配達の詰め所へ行かねばならない。

その不規則な生活に、コロナウイルスの感染拡大防止のための自粛が追い討ちをかける。

国、東京都が求める自粛に伴い、学校はほぼ休校状態。彼が春に上京してから学校に行けたのは、たったの1ヶ月だった。せっかく出会えた友達と会えない、もちろん岐阜県に残してきた家族とも会えない。私とも、教育部の人たちとも。その孤独や仕事の疲れ、学校に行きたくても行けないもどかしさが彼の身に病魔として渦巻いた。

ある時、新聞配達の詰め所の所長に暴言を吐かれ、過呼吸になってしまったのだ。さらに、その時から彼の心には希死念慮が渦巻くようになり、「僕には何もできないと思っていたけど、まだ自殺という選択肢があった」と、とんでもない考えが頭に浮かぶようになってしまった。

しかし、これは完全にうつ病のサインだ。希死念慮が頭に浮かぶことは、うつ特有の脳の誤作動なので、すぐに病院に行った方がいい。

しかし、その苦しい渦中にいる彼を、会社の他の人が献身的に庇い、守ってくれたそうだ。

また、東京の学生部の人たちともつながっていたため、その人たちに電話してもらって、命をつなぐことができたらしい。

守られたね、と私は言った。みんなに守られたね。本当に良かった…。と。

 

翌日、久しぶりに教育部の先輩と、その件の彼と会った。やっぱり話は彼に傾いた。でも、私はなるべく彼に色々話して欲しかったため、彼の話を聴く方に回った。彼が本音を出せるのは、この先輩と会えた時だけだから。

そして、他の人にされる指導でも、何か私にプラスになることがあるかもしれないと思ったことも理由だ。

そう思って話に耳を傾けていた、その時。

「そういえばね、明日中部教育部長が名古屋の〜にいるみたいよ」先輩が言った。

耳を疑った。

中部教育部長は愛知・岐阜・三重を日々忙しく駆け回る多忙な人だ。とても気軽に長く話すことはできない人だ。そんな方が、明日名古屋の、しかも私が知っている会館にお見えになる…!

 

奇跡だと思った。なぜなら、私はコロナ自粛が始まる前、彼に教育相談をお願いしていたのだ。今後の仕事のこと、今までのこと、すべて話したかった。苦しくて怖かったこと、前へ進もうとして歩こうとした矢先、つまづいてしまったこと。この先どう生きていけばいいか分からないことなど。教えてもらいたかったからだった。

しかしその教育相談は、コロナ自粛に消されてしまった。まるで、わたしが教育相談で蘇生するのを魔が嫌がって妨害するように。

それで私も、教育相談はコロナが終息するまで我慢かなぁと思っていたのだが…。

 

先輩や彼と別れてから、その先生に連絡して明日会って欲しいとアポイントメントを取ったところ、「あーいいよ〜(^^)」と快諾。

ついに、夢にまでみた中部教育部長による私の教育相談を受けられることになったのだ。

 

教育相談を受けられるようになったのは、もともと彼が私に会いたいと連絡をくれたことがきっかけだった。だから、教えてくださった先輩にも、帰省するから会いたいと連絡をくださった彼にも、心から感謝の意を評します。

 

さて、私の教育相談がどうなったか?

それは次の記事でお話しします!

この対話で私はこれまで塞がっていてみられなかった自分のこれから行く道に、ものすごい光を見ます。

とにかくすごい奇跡が起こったのです。

ぜひ次の記事も見て下さい!

 

酷暑の夏!なるべくあっさりしていてスタミナのあるものを食べたい、と思い…。

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焼肉とピーマンとナスのごま油炒め、揚げ出し豆腐を作りました。
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あと、バーミキュラの鍋を使って温野菜。

味噌やマヨネーズと食べると絶品!
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暑くて火を使いたくない時は、豚バラの塊をオーブンに入れて、ローストポーク!これが、嫌な脂が落ちて、皮はパリパリ中はジューシーと最高のお肉でした!
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その豚バラの塊を炒めたフライパンで豚の脂や残されたオリーブオイルを使って野菜炒めを作ると、さっぱりしてて見た目低カロリーそうな焼き野菜ができました。これもまた美味しそうでした。

皆さんの夏バテの際のスタミナ飯はなんですか?