荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

閉じられた闘争 vol.3

こんにちは。

自分の親を毒親と思ってネットに書くのは、実は抵抗があります。

 

「自分の親なのにそんなひどい考えを持つのか!」

という批判が怖いのですが、残念ながら被害を受けた私としては、この悲しみや苦しみをこのまま胸に閉まって1人で抱え込んだまま生きるのはとてもしんどい、というか今までしんどかったから、抑うつとか精神疾患になって出てきてるのだと思うので、親だから目を瞑るというのはもうできないのです。

そして、私も1人の人間として生きています。だから、つらかった、苦しかった、悲しかった、というのは主張する権利があります。

御書を見ても、日蓮大聖人は「どんなに身を偉い人に拘束されようとも、心まで拘束することはできない」と仰せです。だから、自分で思うことを思い、こう書いているのです。

 

さて、本題に入ります。

 

なぜ私の母親が毒親となってしまったのか。

 

ということです。このことは、彼女から聞いた話を元に私の考察が入りますが…。

はっきり言って、母親自身も毒親に苦しめられ、しかも彼女の場合は虐待やネグレクトもされていて、現代なら児童相談所や警察などといった法的措置が取られなければならないほどの非常に酷な環境で育ったことによるトラウマが原因です。

しかも、彼女には親戚の中にひどい精神障害を負って、今でも補助を必要としている人がいるらしく、そのことから精神科に関して大きな偏見がありました。

なので、自身がしんどくても精神科にかかって助けを求める、という知恵がなく、というか彼女はものすごい情報弱者で、自ら調べるということをしない人です。しかも友達もいないので、外からの情報も入ってこなくて自分の考えに凝り固まってしまっているので、彼女の考えに誰も警鐘を鳴らせない。

親からの虐待やネグレクト、姉や弟からのいじめによって自己肯定感が育たなかったため、承認欲求が暴力的に酷く、子どもの私にまで自分を認めて欲しいと迫るほどでした。

そして、自分の考えが正しい、自分の考えに従わず、意見を言うと反発されたと思い込んでいます。

そして、自分の考えに沿わないことを言うと、「あんたはおかしい」と言われました。

だから、私は自分が思うことがあっても心の中でブレーキをかけてしまうクセがついてしまい、この数年前まで、自分で自由に考えを主張するということができなくなってしまっていました。

それを救ってくれたのは彼氏であり、学会の教育部のお姉様です。

 

彼氏からは、もし何か言われたら何でそういうことを言うのか、逆に質問責めにしろ、と教えてもらいました。

何も反抗しない、反応しないから親は良いと思って嫌なことを言うのがエスカレートするし、言われっぱなしになってしまう。それが嫌ならちゃんと言わなきゃ、こっちも行動しなきゃいかん、と教えてもらいました。

そして、教育部のお姉様からは、私が今すごく成長してるから、こんなはずじゃなかった、って思ってるのよ、と励ましてもらいました。

私がおかしいんじゃなくて、成長に親が付いていけてないこと、現代において親が未知なものを知ることをいつまでも怖がっていること、そしてそれゆえに情報弱者なのに、いつまでも自分で未知なものを見てみようとしない。

要は、スペックが高い人がスペックが低い人に色々訳の分からないことを言われて、全然そんなことないのに自分はできないと思ってしまうようなことだと思います。

 

母親の毒からは早く逃げたいし、一人暮らし先に一刻も早く帰った方が良いのは主治医からも言われています。

でも、今帰りたいと言っても、絶対反対されて訳の分からない言いがかりを付けられるし、不登校中の私は給料が全額支給されないので、生活をするのが経済的に難しいのが現状です。

アパートを引き払うのもしたくないので、耐えるしかないかなぁと思っています。

 

でも、本当は逃げたいのです。

もし何か良い策がある、という方はコメントかTwitterのDMにてお願いしますm(_ _)m