荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

閉じられた闘争 vol.2

さて、連載始めます。

それにしても、「なぜこんな連載なんかやる気になったの?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんね。

それにはちゃんと訳があるのです。それは・・・

  • 今自分が受けている被害を忘れないようにメモ代わり。
  • 毒親の実態を少しでも拡散して知ってもらいたい

ここまでは一般的だと思います。が、実は一般的じゃない理由もあります。

それは、創価学会文芸部員としてのプライドです。

今年の1月19日に風邪引いてふらふらな状態の中、文芸部にデビューして以来、私はあまり気が乗らなくて小説とかエッセイとかを全く書いていませんでした。

ちなみに今も書いてないけど許して!!(:_;)←

しかし、あるとき母親にものすごく心ない差別的発言や暴言を吐かれたことがありました。

その時の発言がこちら。

 

  • 「精神科にかかったことで自分はダメだと捺印を押した事と同じだ」
  • 自閉症スペクトラムの人間は結婚できない、結婚して子どもができたら子どもに言いふらされて近所から白い目で見られる」
  • 自閉症スペクトラムの人間はコロナウイルスと同じだ」
  • 「いつまで同じこと(抑うつ適応障害が悪化して休職すること)をするんだ、職場からあいつまた倒れたのか、あいつは使えないなって思われてる」

ここまでくると、何かモラハラというか人権侵害に近い気がするな(^_^;)

何か差別すごいし、無知と無理解と偏見ってここまで暴言吐けるんですね・・・。

まあ創価学会も無知・無理解・偏見で散々意味不明な暴言とか差別とか迫害されてるんだけどね。

 

そういった数々の暴言に私は怒りと悲しみを覚えました。

今は全く違うのに。精神科は家族や友人などに相談しても解決できないような悩みや苦しみを専門家と一緒に専門的に考え、治していく大事な機関だし、内科や外科のように無くてはならない日常的なものです。

そして、自閉症スペクトラムだから結婚できないことはありませんよね。多様性が受け入れられている今の世の中を見れば一目瞭然です。

それに、職場では確かに「使えない」と思っている人はいるかもしれませんが、そんなの誰でも思われることはあるし、精神疾患はゆっくりとしか治せないのが現状です。

そういう現在の様子を知ろうともせず、勝手な思い込みや偏見で人を傷つけて傷を深くさせる母親。

この悲しみをどこにぶつければいいの・・・?

Twitterでつぶやきながら、フォロワーさんたちとやりとりしながら考えました。

そして思いました。

今こそ文芸の力だ。ペンの力だ。この悲しみや苦しみを書いて書きまくらねば・・・!

そしてこの時、私は「文芸部に入っていて良かった・・・」と心から思いました。

今私が書けるのはこのブログ上のみですが、いずれはこのブログの記事をまとめてエッセイを書こうと思っています。そしてそのエッセイを今年の同人誌「弥」に載せようと思います。ので、そのための記録でもあるのです。

自分が文芸部員だと自覚し、その「書く」という熱を絶やさないために、連載を始めたのです。

前置きが長くなりましたが、ではここから本題に入っていきます。

 

私が母親を怖いと思うようになったのは、多分5歳くらいの頃からだったんじゃないかと思います。

私は自閉症スペクトラムのため、発語が非常に遅く、また話したとしても主語述語がばらばらで、とても他の子のように話すことはできませんでした。

しかし、それが分かったのは昨年の話で、当時はその発語が遅いことが自閉症スペクトラムの影響だという事が分からず(というか検査とかも何もしてなかったから)、しゃべらないことをめちゃくちゃ責められたのを覚えています。

「言葉が浮かんでこないの?!」と激しく怒鳴られたことを今でも覚えています。

そして、当時の母親は、情緒がものすごく不安定で、父親とよく夫婦喧嘩していて、突然荷物をまとめ始め、「新しい人見つけて出ていく!!」とブチギレたこともあります。

だから、その時から私の心にはいつ母親が怒りだすか分からないことによる緊張が植え付けられていました。

そのスイッチは、いつ入るか本当に分かりません。

昨日まで機嫌が良かったのに、朝になって急にブチギレて暴言を吐かれたり、家族旅行で楽しく盛り上がっていたのに、急にブチギレて車の中で夫婦喧嘩になり、最悪の旅行になったり・・・。

なので基本的に私は家族旅行で良い思い出がそんなに無い。

だから社会人になってから、よく旅行してたんですけどね(^_^;)

小学生のころ、家族で東京ディズニーランド行った時なんてまじでやばかった。

私はあんまり乗り物とか絶叫系とか乗れないんですけど、母親はそういうのが好きで、それに乗ってこない私や父親に「ちっとも楽しくない」来たばっかなのに「もうホテルにチェックインする」自分と考え方が合わないだけで、人を排除しようとしていました。自分の思い通りにならないと、相手が悪いと暴言を吐くのです。

今思えばそれは完全に毒親のそれだし、子どもにトラウマや自己否定感を植え付け、やがてうつの症状か出てくるのは当然のことだったと思います。

(もちろん、私のこの適応障害抑うつ状態は、母親のモラハラだけがすべての原因ではありませんが・・・。)

でも、片棒を担いでいるのは間違いないと思います。要はつけが回ってきたのです。自分が傷ついているのに自分の心の声に耳を傾けられなかった私や、傷つけた母親自身に。

ひょっとしたら、(憶測ではありますが)母親は今このつけが回ってきたこと、私が自閉症スペクトラムだったことを認めたくないのかもしれませんけどね(-_-;)

 

でも、母親がそういうモラハラや偏見を持ってしまっているのには、実はちゃんとした理由があったのです。その話は次回で。