はじめての不登校
えー、こんにちは。結井です。書きます。
前回のあらすじ。
色々あって学校での勤務ができなくなった私は、教員の不登校になったのでした。
では、私が不登校になって何をしていたのかと言いますと…
最初の頃は、それまでの疲れもあって、ほとんどの時間を寝て過ごしていました。
いや、本当に体が動かないのよ、これが。人間、極限まで疲れると、本当に体が動かないんです。
あとはベッドの中で漫画読んだり、Twitter見たりしてました。
それと、忘れちゃいけない、メンタルクリニックへの通院もしていました。
ちなみに、この最初の不登校で付いた診断は、適応障害でした。今ネットでたまに芸能人や政治家がなる、あれです。が、ぶっちゃけ、診断ついたあとの自分の症状を振り返ってみると、多分軽いうつ病だったんじゃないかと思います。が、このときはまだ自閉症スペクトラムのことも適応障害のことも、なーんにも分かっていない状態だったので、言われるがままに適応障害って信じ込んでいました。
ちなみに適応障害とは、ある環境に膨大なストレスを感じて、その環境下では体調が悪くなったり抑うつ状態になったりするけど、それ以外の場所では元気で何も問題ないという、どんな環境下でもやる気や心身ともに気力がない状態になるうつ病と少し症状が違います。
でも、私は学校にいなくても抑うつが激しかったため、多分あの頃は、軽くうつになっていたと思います。
しかも、当時の医師は気が合わない、あまり良い医師ではなかったので(発達障害の検査したい、って言っても、何もしてくれなかった)、通院も正直、病院変えようかなってわりと思ったりしてた。
さらに、当時は私の親もメンタルクリニック通院への理解がなく、適応障害や休職することに対しても理解してくれることにかなり時間を要しました。しかも一回母親に家追い出されて、それがもとで夫婦喧嘩になり、家族の冷戦状態が1週間くらい続いた。これもかなりメンタルに来ました。ただでさえうつっぽいのに。
しかし、追い出されたのには理由があったし、母親にも理由がありました。これはまた違うところで書きます。母もなかなか壮絶な人生を歩んでいるので。
その親の無理解から、家ではやはり気を使ってしまって、休めない。この事態に当時の医師は、
「入院して休む?」
まじです。本当に言われました。ちなみに急性期だと、入院治療もあるそうです。
まあ私の場合は避難入院なんですが…。
その時は本当にやばかったので、入院することを選びました。
しかしその病院は入院施設のない小さな個人病院だったため、紹介状を持って、名古屋市内の某大学病院へ転院することになりました。
でもね、大学病院の精神科への休養入院って…。
緊急を要する、とか、手術する、とかじゃないから、ベッドが空くまで待たなきゃいけないし、予約制だから、診察とかまでわりと日数かかるんですよ(´Д`)ハァ…
その診察を待つ間に、学校へ病気休暇の申請に行きました。が、校長から掛けられた言葉がね、まじで無慈悲。
だって、病人に向かって、「年休使い切って欠勤にするか、任期満了まで病気休暇取るか、辞めるか選んで」って言ったんだもん。「大丈夫?」とか、「何があったんだ?」とかそういう声掛け全くなし。
従業員が倒れてもそんな風だから、職場には失望したよね( ´Д`)=3
下がああだから上もこうかと思いました。
で、当時の私は、病気休暇を取ることにしました。というのも、病気休暇ならまだ給料が出るから。
満額ではないけど。それと、その時の私は、教員採用試験で補欠だったの。
つまり、合格者の中に内定辞退が出た場合にのみ、合格になるっていう、3月までガクブルなやつ。
だから、補欠不合格を恐れたってのもあった。
それで病気休暇を取りました。それで、大学病院診察の日まで家で過ごしたんだけど…。
この間にね、何と、ひどい風邪を引きました。今までの緊張や疲れがどっと来たんだと思います。
風邪が治るまでは、頭が痛くなるくらい寝て、漫画読んで、Twitterやってました。
ちなみにこのとき読んでた漫画は、「ご注文はうさぎですか?」でした笑
私はもともと動物が(昆虫や両生類や爬虫類以外)好きなので、動物系漫画が好きなのです。
それで、大学の頃に友人に勧められて、あんこちゃんやティッピーにハマってしまい、以後大ファンになりました。
ちなみに今でもごちうさは好きです♡
しかもその当時Twitterは、あの社会現象を巻き起こした伝説のアニメ、
「けものフレンズ」の全盛期。Twitterは連日けものフレンズ考察班の考察や、オープニングテーマの中毒性ツイート、アニメの感想で溢れかえっていたので、私もオープニングテーマをYouTubeで聴いてみました。
すると、歌詞にツボって一瞬でハマりました。すっごーい()
その後、風邪が治って診察の日を迎え、家から病院まで行く道中、ずっとYouTubeで「ようこそジャパリパークへ」聴いてましたね。中毒性半端ないって、けものフレンズ!
しかし、大学病院の診察って…もんんのすごく待ち時間長いのね。
しかも最初の臨床心理士さんの問診も、待ち時間もんんんんんのすごく長かった。多分アニメ1〜2本観れる。
またその間もTwitterやってけものフレンズ考察班の考察とか色々読んでましたけどね。
それで問診やって、診察に入るのにもまたもんんんんん(ryのすごく待たされて、しかも患者私含めて3人しかいないのに、診察やったの昼過ぎ。流石にその頃には私もバテて、「もう入院とか面倒くさい…」と思うようになり、それを真っ先に医師に伝えました。が、しかし、実はこの診察の時、すでに自閉症スペクトラムの症状が出ていました。というのも、まず診察に入った時、医師が私に、「あなたは何に困っているのですか?」と尋ねたのです。
しかしその時私は、「何に困ってるって…どう説明したらいいか分からない」と思いました。
実はこれが、自閉症スペクトラムの症状のひとつ。自閉症スペクトラムの人は、「抽象的な言葉が分からない」ことが多いです。
それもあって困った私は、さっさと帰ることにしました。しかもこの病院には、リハビリ、いわゆる「ソーシャルスキルトレーニング」をする体制がないとのことだったし、発達障害の検査もしなさそうだったので、元通ってたメンタルクリニックに帰って、カウンセリングしながら身体を休めることにしました。
今思うと、それが一番良かったんだけど、病院をこの時選び直せばよかったなあと思います。
そうすれば、もっと早くいろんな治療ができたと思います、が、この時はそんな知識もなかったので、さっさと家に帰りました。
そこからしばらくは、けものフレンズを録画して観たり、色んな本を読んだり、漫画を読んだり、mixiに今までのことを書き綴ったりしていました。今のことを書き残して、同じように苦しむ人の参考になればと思ったのです。
しかし当時の私は非常に荒れていたため、口調はめっちゃ汚かったです。
もうね、ふざけんじゃねーよバァァァァカ!とかこんなレベルでした笑
ちなみに当時読んだ漫画は、ご注文はうさぎですか?の他に、とある科学の超電磁砲、魔法少女まどか☆マギカ、きんいろモザイク、くまみこ、聖☆おにいさん、しろくまカフェ、ゆるゆり、〆切ごはん…など、きらら系や過去に人気だった漫画でした。
ちなみに今でもきらら系は好きです。
漫画を買い漁って読みまくりました。少しでも次に講師をやった時の授業のネタにするために。
そしてけものフレンズも沼にハマりました。ちなみに私がまじで沼に落とされたのは、ビーバーとプレーリードッグの回です。あの回を観たとき、ホロッと泣きました。こんなにも認め合ってるなんて…尊い( ;∀;)
その時、私の凍りついた心が、一気に融けました。この瞬間、適応障害が治った!と思いました。まじで。
でもねー実は治ってなかったんですヨ、これが。だって、今私が4回目の不登校やってんの、今の職場が合わないことの適応障害と、このパワハラとかイジメとか前述の三重苦に苦しんでた時のトラウマや過去のことのトラウマのフラッシュバックだもん、しかも抑うつ状態もプラスで。しかもこの適応障害は氷山の一角にすぎず、実は自閉症スペクトラムの二次災害的なものだったんですよ。恐るべし発達障害。
しかしこの時の私はそんなことも知らずに漫画を読み漁り、会いたいと言ってくれた友人たちに会って話をし、寝すぎてしまうため昼夜逆転の生活になっていたことに困りながら日々を送っていたのでした。
まあ、これが初めての不登校期でしたね。そしてそのあと私はどうなったのかというと…。
補欠だった採用試験は不合格になり、その時親に言われた心無い一言に傷ついて自殺未遂を起こしました。
その時は、あらゆる人に死にたいと話していました。でも、今でも驚いているんですが、私が「死にたい」と言っただけで泣いた人がいました。親は悲しみ、落ち込みました。
職場でのあらゆるバッシングから、いつしか私は、「私なんていなくたっていい」「私なんて死んだって誰も悲しまない」と思うようになりました。
しかしそれは違ったし、あらゆる面やその後起こったことを考えると、自殺しなくて良かったと思います。
しかもその後、運良く岐阜県内のとある工業高校の機械科の常勤講師のお声がかかり、私は無事転職を果たしました。
ので、人生何があるかわかりませんし、この自己紹介シリーズが終わったら書こうと思うのですが、自殺は本当にするもんじゃないと思います。
では、その転職のあと私がどうなったのか?
続きはまたそのうちに…。
長文失礼いたしましたm(_ _)m