荒ぶる女子の実習日誌

不登校になった自閉症スペクトラム持ちの実習助手の日常を綴ります。クラシック音楽と写真が好き。カフェ巡りとか小説とかエッセイやってます。ちなみに創価学会員です。

私の活動体験vol.19 私だけの道筋

こんにちは。連日暑くて到底ブログなんて書けたもんじゃないと思いますが←

更新です。今回、初めて中部教育部長と懇談させていただき、今までにない自分の可能性に気がつくことができました。そして、何より「誰も置き去りにしない」という池田先生の昔からの教えを変わらず実践している教育部長と幾重にも共感のチェーンをつなぐことができたのも、本当に感謝の思い出いっぱいでした。

それでは、その懇談の詳しい内容を…どうぞ!!

 

中部教育部長は、もともと私のことを教育部の研修で知ってから、ずっと私が悩んでいることを気にかけていたそうです。そのことはもともと知っていたのですが、なかなか話す機会がなく、更には申し込んだ教育相談がコロナの自粛で中止になり、相談したくてもできないという状況が1年近く続いていました。

その中で、急遽先輩が名古屋に教育部長がいらっしゃるという情報をご本人から聞き、私に教えてくださったのです。藁にもすがる思いで教育部長のところへ行きました。

そして、今抱えている不安、今の現状、これまでの怖かったこと、つらかったこと、ありのままに打ち明けました。

そして、なぜ教員を目指したのかを問われたので、それもありのままに話しました。

私がなぜ教員になったのか、それは、

 

理不尽や学校不適合などで学校に行きたくない、学校が嫌だ、合わないと苦しんでいる子どもを助けたい

 

からなのですが…。更には高校生のときに受けた未曾有の理不尽もクラス単位のパワハラも話しました。ちなみに、なぜここまで徹底してありのままにぶつけたかというと(ちょっと宣伝になるけど)中部教育部長は、中部で数々の家庭懇談会の活性化や不登校・引きこもりになった子どもたちの蘇生のドラマを起こしています。その活動は、昨年秋に全国の教育部研修会で講師を務め、さらに学会から何かの賞を頂き、聖教新聞の一面に載ったゴッドオブゴッドティーチャー(←言い方ダサくてごめんなさい)なのです。

中部の教育部の人なら誰か分かるよね!!察して!!←分からなかったらまじでやばいぞ

 

そのゴッドオブゴッドティーチャーの、私に対する答えは…。

 

適応障害になって良かったんじゃないの?(゚∀゚)」

 

は?!(・・;)

 

適応障害というのは、

要は適応するための環境に障害があるから適応するできない、つまり私は正常な人間ですというのが出ただけなんだよ。良かったじゃないか、正常な人間で(^^)

もしそんなヘンテコな学校に適応していたらもっと性格悪くなっていたと思うよ?

 

確かに、言われて今まで病気になった学校のことを思い返してみました。

最初の学校は女性差別・管理職の隠ぺい・各種ハラスメントが渦巻く、古き悪しき学校でした。

そこに適応していたら、私は平気で嘘をつく人間になっていたでしょう。

 

次に病気になった学校は、まだ新設校だったこと、進学に重きを置く工業高校だったため、教員たちが名聞名利に狂い、工業高校で行われる教育として本当に大切なものを失った学校。さらに私がいた学科は、自分の思い通りにならないと人に当たる、悪い者・弱いものいじめを複数の職員の前で平気でする、目立ちたがり屋(数人普通の人もいましたが)、の多い異常な学科でした。そこに適応していたら、私は嫌なことがあると生徒に当たり散らして発散し、変に目立とうと無駄な仕事をしていた最悪な働きぶりをしていたと思います。

 

最後に、今の学校の学科は、自分勝手な人が多く、相手が今どんな状態なのか・相手の裏にある状況や相手の気持ちを考えずに言いたいことを生徒や職員に言う人や、自分の世界に入ってしまう人が多いところでした。

そこで適応していたら…。私は自分勝手で、今スローガンとして掲げようとしている「影の子どもたちに目を向ける」なんて考えもせず、感じの悪い先生だと思われていた、というか、さすがにここまでくると想像を絶します。

だから、そういう悪い環境に適応できない、正直な正常な人間だったというのを気付かせていただきました。

 

さらに、私の自閉症スペクトラムのことに関しても、自閉症スペクトラムは男性に多い発達障害で、理系に特化した子や芸術系に特化した子が多いから、今後結井さんのような先生が必要とされると思うよ」「この手の発達障害は、なっている当事者にしか分からない。机上の理論だけ分かっている人ではダメだ。今は発達障害の子どもも増えているから、発達障害を持った先生というのはすごく使命がある」と、全肯定されました。主治医でもそんなこと言わなかった( ゚д゚)

 

さらに、理系か芸術系に趣味が傾くことについて、私自身も今まで数学や物理、機械工学と好きなものが理工系に傾いたり、クラシック音楽やジャズ、イージーリスニング、バレエといった芸術が好きだったりするので、

すべてこのためだったのか!と目からウロコが落ちました。

 

何も無駄はない。全てを活かしきっていけるのがこの信心です。信心する前のことまで活かされるのを、この時改めて確信しました。

また、やはり影の子どもたちや苦しんでいる子どもたちを救うのが私の使命なのだ、とも。

 

今まで私は異口同音に「人と関わらない研究職が良い」と言われてきました。

でも、研究職に就きたくても、そのためには大学院に行く必要があります。私はそれを経済的な理由で泣く泣く諦めたので、「研究職に就いた方が良い」という言葉には、無責任さを感じます。

しかも私は最初、機械系の大学院を目指していたのですが、大学院を出たあと何をしたいかビジョンが無くて、ずっと困っていました

どこかの研究所に勤めるにしても、今の日本の研究職は果てしない競争社会・男社会です。そして、科学技術に関して日本はほとんどお金を投資してくれないので、研究者たちは切り詰めた生活をせざるを得ない。しかも機械系となればそれは尚更。

その中で、人脈もお金もない私には何もできないし、経済的にも非常に難しい問題があります。

だから、研究職にはならないと思います。その代わり、そういった専門的な知識を得ることだけは怠らず、その知識を使って、目の前の子どもに貢献する。それは続けていきたいと思います。そのために、日々色んなものに目を向けて、色んなものを吸収していきたいと思います。

そのための自閉症スペクトラムであり、変に傾倒した趣味だったのかと、自分の運命が見えた瞬間でした。

 

対話を進めていく中で、中部教育部長は今まで私が見てきた先生とは違って、私に高圧的な態度を取ることも、変な自慢話をすることもなく、本当に私を包み込んでくださっていました。今まで私が暗闇の中で見ることができなかった、影に埋もれていた光をまざまざと見せてくださいました。

自分が今後必要とされる教員、要は先駆者だなんて思ってもいませんでした。

 

さらに、復帰プログラムはその学校に適応させようとするものだから、適応なんてしなくて良い。自分が必要だと思うことをやれば良い。そのための復帰プログラムだよ。

大学院に行きたいなら、発達障害や特別支援について勉強できる大学院を探せば良いじゃないか。

その言葉で、私の心に再び火がつきました。

 

発達障害や特別支援について、勉強したい。精神医学を学んで、自分の状態や母親の状態、発達障害とは何かを勉強したい。そして、それにどう対応していけば良いか、学びたい。

 

それが今の私の夢になりました。

 

正直言って、今の体調はあまり良くありません。復帰プログラムを急に1ヶ月早められたことによる精神的ダメージは大きく、前より鬱っぽくなって、動けない時間も増えています。

でも、動けるときは自閉症スペクトラムや精神医学など、興味のある本を買って読んでいます。学校はまだ行きたくないけど。

でも仕事を辞める気はありません。

なぜなら、私は私が自分で気がついた使命を果たしてみたいし、ますます専門分野に関して知識を深めて勉強したいからです。

命がけで今の職に就いた未練もあります。

だから、自分がいつか

「あー使命とかいうやつやりきった〜」と思えるその日まで、この仕事を続けていきたいと思います。

 

また、私はこの対話を通じてあることを確信しました。

実は中部教育部長、本当は教諭の初任者研修で講義を行っているほどの偉い人物です。

普通の教諭が気軽に一対一で対話、なんてまずできない方です。

また、彼の教育部での講義は、お互いが学会員だからこそ本心でガンガンにありのままの話が聴けるし、やはり教育が学会の核になっているだけあって、常に教育の最先端の話を聞くことができます。

私は、これまでの職場で色んな初任者を見てきましたが、彼らが受けている研修の内容を聴いて、「めんどくさそう」とか、「内容が胡散臭そう」「内容が古そう」とか思ってしまっていて、とても自分も受けたい!と思える内容ではありませんでした。

だから、私が今まで教諭の採用試験に落ちまくり、初任者研修の無い実習助手に受かったこと。

それは、

学会教育部という教育の最先端かつ最前線の中で研修を受けるためにあったのだと。

 

意味のない研修は、正直自閉症スペクトラムの私には無駄な時間にしか思えないので、自分に正直な私は教諭になって初任者研修なんてやろうものなら、とんでもなく不真面目な初任者だったと思います。もしくは、もっと心が壊れていたと思います。

 

私に合った研修、私にこそなし得なければならない使命、そのために今までがあったのかと、この時すべての物事が一気に繋がって、納得できました。

まだまだ体調・精神面での闘病は続きますが、諦めずにゆっくり進んでいこうと思います。

私の活動体験vol.18 奇跡の対話

今年のお盆は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、ゴールデンウィーク同様外出は自粛になった。

つくづく、コロナウイルスが私から奪った数々の大切なものを偲ばざるを得ない。

東京やみなとみらいへのオーケストラ鑑賞、あてもなく長野や東北を彷徨って風景撮影に勤しんだ夏の旅行。

家庭懇談会、色んな会合。遠いところに住む友人たちとの再会。幸い不登校中であまり使えるお金が手元になく、自由に行動するのは少し金銭的につらいため、一人暮らし先に閉じこもらざるを得なかったのは運が良かった。

でも、復帰プログラムを9月から受けなくてはならない現実に、私の心はヒリヒリしていた。

まだ全然心の準備ができてないのに、あの学校に戻らなきゃいけないの?

あー誰かと話したい。いや、こういう時は大体教育部の先輩たちと話がしたくなるのだけど、みんな仕事が忙しいのを知っていたから、ためらって連絡できなかった。

その現実への不安を感じて嫌な気持ちが心にくすぶっていたある日。

東京の専門学校で学んでいた、教育部つながりの友達から連絡が入った。

「帰省しました、明日の夕方会えませんか?」と。そして彼は明後日、教育部の先輩と会うらしい。

これは会わなければと思った。今ここでコロナをビビってたって何も始まらない。

多分3人で会えば話は必然的に彼に向くだろう。先輩は彼を中学生の頃から見てきたのだし、私とは付き合いが浅い。それでもそれで不平不満を言うのは間違っている。彼は年齢からして私の教え子と歳が変わらない。

もし私の教え子が何かにひどく悩んでいたら、居ても立ってもいられない。そう考えると、心は定まった。

3人で会おうと決めた。しかし、会おうと決めた矢先、先輩から連絡があった。

彼の精神状態は、彼が送ってきたLINEの文章からは到底想像できないレベルで病んでいた。

しかも先輩も今年度はかなりきつい仕事をしていたらしい。昔、大きなうつを患って、学会活動で蘇生したその身でさえその仕事はきつかったそうだ。再び主治医にドクターストップをかけてもらったらしいが、学校は無情で聞いちゃいない。また倒れてしまうのではないか、そんなギリギリの状態での再会になることと、コロナの予防は万全に、との内容だった。

それを見て、私は思った。

少しでも先輩の負担が減るように、せめて彼の話だけでも聴きたい、と。

いや、ここで聴いたほうがいくらか楽になれるかもしれない。そして、私が聴けなかった分や本当にやばいところだけ先輩に話してもらえば時間短縮にもなる。なるべくコロナの感染リスクを下げなければ。

 

そう思って私は彼に電話した。そして、大した励ましはできないけど、何があったか話せる範囲で話して、と言った。

 

彼の置かれた状況は、あまりにも悲惨だった。

新聞奨学生、要は新聞配達をやる代わりに専門学校の学費がもらえるというものなのだけど、新聞配達はこれまで体がそんなに強くない彼にとって肉体的にも精神的にも負担だった。

まず1日のサイクルが普通の学生とは異なる。起きる時間も寝る時間も異なる。その間に専門学校での授業。終われば今度は夕刊配達。しばらく休むけど、起きたらまた朝刊の配達のために新聞配達の詰め所へ行かねばならない。

その不規則な生活に、コロナウイルスの感染拡大防止のための自粛が追い討ちをかける。

国、東京都が求める自粛に伴い、学校はほぼ休校状態。彼が春に上京してから学校に行けたのは、たったの1ヶ月だった。せっかく出会えた友達と会えない、もちろん岐阜県に残してきた家族とも会えない。私とも、教育部の人たちとも。その孤独や仕事の疲れ、学校に行きたくても行けないもどかしさが彼の身に病魔として渦巻いた。

ある時、新聞配達の詰め所の所長に暴言を吐かれ、過呼吸になってしまったのだ。さらに、その時から彼の心には希死念慮が渦巻くようになり、「僕には何もできないと思っていたけど、まだ自殺という選択肢があった」と、とんでもない考えが頭に浮かぶようになってしまった。

しかし、これは完全にうつ病のサインだ。希死念慮が頭に浮かぶことは、うつ特有の脳の誤作動なので、すぐに病院に行った方がいい。

しかし、その苦しい渦中にいる彼を、会社の他の人が献身的に庇い、守ってくれたそうだ。

また、東京の学生部の人たちともつながっていたため、その人たちに電話してもらって、命をつなぐことができたらしい。

守られたね、と私は言った。みんなに守られたね。本当に良かった…。と。

 

翌日、久しぶりに教育部の先輩と、その件の彼と会った。やっぱり話は彼に傾いた。でも、私はなるべく彼に色々話して欲しかったため、彼の話を聴く方に回った。彼が本音を出せるのは、この先輩と会えた時だけだから。

そして、他の人にされる指導でも、何か私にプラスになることがあるかもしれないと思ったことも理由だ。

そう思って話に耳を傾けていた、その時。

「そういえばね、明日中部教育部長が名古屋の〜にいるみたいよ」先輩が言った。

耳を疑った。

中部教育部長は愛知・岐阜・三重を日々忙しく駆け回る多忙な人だ。とても気軽に長く話すことはできない人だ。そんな方が、明日名古屋の、しかも私が知っている会館にお見えになる…!

 

奇跡だと思った。なぜなら、私はコロナ自粛が始まる前、彼に教育相談をお願いしていたのだ。今後の仕事のこと、今までのこと、すべて話したかった。苦しくて怖かったこと、前へ進もうとして歩こうとした矢先、つまづいてしまったこと。この先どう生きていけばいいか分からないことなど。教えてもらいたかったからだった。

しかしその教育相談は、コロナ自粛に消されてしまった。まるで、わたしが教育相談で蘇生するのを魔が嫌がって妨害するように。

それで私も、教育相談はコロナが終息するまで我慢かなぁと思っていたのだが…。

 

先輩や彼と別れてから、その先生に連絡して明日会って欲しいとアポイントメントを取ったところ、「あーいいよ〜(^^)」と快諾。

ついに、夢にまでみた中部教育部長による私の教育相談を受けられることになったのだ。

 

教育相談を受けられるようになったのは、もともと彼が私に会いたいと連絡をくれたことがきっかけだった。だから、教えてくださった先輩にも、帰省するから会いたいと連絡をくださった彼にも、心から感謝の意を評します。

 

さて、私の教育相談がどうなったか?

それは次の記事でお話しします!

この対話で私はこれまで塞がっていてみられなかった自分のこれから行く道に、ものすごい光を見ます。

とにかくすごい奇跡が起こったのです。

ぜひ次の記事も見て下さい!

 

酷暑の夏!なるべくあっさりしていてスタミナのあるものを食べたい、と思い…。

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焼肉とピーマンとナスのごま油炒め、揚げ出し豆腐を作りました。
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あと、バーミキュラの鍋を使って温野菜。

味噌やマヨネーズと食べると絶品!
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暑くて火を使いたくない時は、豚バラの塊をオーブンに入れて、ローストポーク!これが、嫌な脂が落ちて、皮はパリパリ中はジューシーと最高のお肉でした!
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その豚バラの塊を炒めたフライパンで豚の脂や残されたオリーブオイルを使って野菜炒めを作ると、さっぱりしてて見た目低カロリーそうな焼き野菜ができました。これもまた美味しそうでした。

皆さんの夏バテの際のスタミナ飯はなんですか?

 

不登校の日常vol.68 打ち切りは突然に

こんにちは。また長々と更新していませんでしたが、皆様お元気でしょうか?

私はまた例によってうつっぽく、ウダウダしておりました。

でも、今回のうつはこれまでの薬の副作用や親との諍いなどによるものではありません。

では何か、と言いますと。

 

突然ですが私の不登校は8月31日で終わりを迎えます。

 

え、一体どういうこと?(・_・)とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、私が一番戸惑っているし、精神的にも体力的にも追いつけていなくて、毎日をぼさーっと生きています。まだ何も心の整理も準備もできていません。

 

でも、これはある意味仕方のないことかもしれません。というのも、すべてはあの悪しき新型コロナウイルスのせいだからです。

今、コロナが首都圏をはじめ色んなところでまた猛威をふるっていますが、その猛威は私が住む東海地方も影響を受けており、もしこのまま感染拡大すれば私の職場もまた休校になる可能性があります。

そうなれば、学校も私の復帰プログラムどころではなくなってしまいます。

だから、できるうちにということでした。

 

管理職から話を聞いた時は、正直言ってショックでした。というのも、私の復帰プログラムは本来10月からで、管理職も私も主治医もその体で動いていたので、それがあと数週間で突然学校側の意向で終わってしまうということに動揺を隠せませんでした。

でも、管理職には誰よりも今までお世話になってきました。

愛知県で勤務していた時のパワハラやイジメについてよく話を聞いてくださったし、発達障害に関しても万全の対策を取ると仰っしゃり、私の出す条件もきちんと飲んでくださいました。

今年度の部活はそのかいあって無所属になりました。ここまでやってくれる管理職なんて今まで出会ったことねーよ(´;ω;`)

だから、私も極力迷惑をかけたくないと思って、同意したのです。

でも正直、1ヶ月と半月とでは全然回復力が違います。ケガをしていた人がこれまでゆっくり行こうと歩いていたのを、突然走らされるようなものです。まあそうすれば結果は目に見えて分かるのですが、少なくとも前よりひどい状態にならないように、今はしっかり休息するしかないと思っています。それしかやれることはないし、お題目も上げれたり上げれなかったり本当にその日によって違うので、1日過ごしてみてやっと自分の体調が分かるくらいです。

 

本当に、また復帰できるのだろうか…。

一時期まじで心身ともに弱っていました。そこでたくさんの人に連絡して、学校が怖いと打ち明けました。

中には、初めて私が本心を打ち明けることができた人もいました。見栄なんて張るもんじゃない。

その方は一人暮らし先の女子部の女子部長さんなのですが、今まではうわべだけ、他愛もないことしか話せなかったけど、もうすべてさらけ出そう。だいぶ打ち解けてきたはずだ。ありのままの私を見てもらおう。と思って、今までは決して吐かなかった弱音をそこですべてぶつけました。

するとすぐに電話を下さり、話を聴いてくださいました。何もできることはない、とおっしゃりながらも真摯に話を聴いてくださったことがどれだけ抜苦与楽になったことか。

本当に頼りたかったいつもの教育部の方々のレスポンスがある事情でいつもよりかなり遅かったこともあって、その時はその女子部長さんと初めて分かり合えた気がしました。

その後、私はある強力なつながりによって、一命というかある程度精神状態が落ち着きました。

その強力なつながりとは何か、それは次の記事でお話します。

 

最近はスタバのアールグレイアフォガードフラペチーノにハマっています笑
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フラペチーノ昔から飲むのへったくそで、だいたい最後に味のない氷が残るのであんまり好きじゃないんですけど、これは飲めます。しかもホイップクリームも無いので、ホイップクリームが胸焼けくる大人でも安心!

紅茶好きな方ははぜひ飲んで下さい(*^^*)

まあこれも飲むの下手で、氷がちょっと残っちゃうんだけどね…笑←

 

 

 

不登校の日常 vol.67 過ちから学習して…

とうとう、また非常事態宣言とか出るようになりましたね。

また外出自粛とか、ショッピングモールの専門店が休業になるのかなぁと、ちょっと気持ちが落ちかけている結井です。

 

自粛となると、また実家で軟禁になる可能性が高いので、なんとか一人暮らし先で生き延びたいところ。そして、せっかくなら前の自粛では楽しめなかったおうち時間も楽しみたい…!

って訳で、今日は久しぶりにお菓子を作りました!

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最近コンビニスイーツでも人気の、

バスクチーズケーキです。

濃厚なチーズを全部一気に焼き上げたような、レアチーズケーキよりチーズタルトよりもっとチーズ感のあるスイーツ。

私はついこの間ローソンで買って食べたばかりなのですが、その濃厚さに衝撃を受けました。

で、買うのも良いけど自作できないかなと思って、伝家の宝刀クックパッドで検索してみたところ…。

結構皆さん作られてました(*´∀`*)

ので、簡単にできそうなレシピをピックアップして、レッツトライ!

材料はクリームチーズ生クリーム砂糖薄力粉。それらを混ぜてオーブンで焼くのみ。こう文章で書くと

「何だ、楽じゃん(^ν^)」と思われるかもしれませんが、そんなことはなかった。

クリームチーズ液状化するために泡立て器でクリームチーズと生クリームを混ぜる。

はいそこで腕がきついよね。で、他の材料も混ぜるとクリームチーズがもったりしてるので、

液が重いよね。腕が痛いよね。明日筋肉痛確定(´Д` )

そう、お菓子作りって結構力要るんだよね。

なので、女子から手作りでお菓子もらった男性諸君、お菓子粗末にしたら罰当たるぞ。ちゃんと残さずに食え。ってのは結井、小学生のころ好きな男の子に(✳︎現彼氏ではない。彼氏は大学生の頃知り合った)バレンタインに頑張ってお菓子を作って持っていったことがあるのだけど、後に「猫にあげた」と恩を仇で返された経験があり、(というか猫にあげた時点でそれも猫にとって害だと思うけど)以来その男の子が大嫌いになったのです。

現在の彼氏は、お菓子作るといつも「ありがとう、美味しい」って言ってくれるし、普通の料理も「美味い」「料理上手だね」って言ってくれるので、すごく嬉しいです笑←のろけキモいね

基本的に、結井は作った料理がまずいという人とは付き合いたくない。そういう人は料理作るとき文句言ってきてストレスになる可能性が高いので、そう言う人は恋愛対象にしません。

まあ基本的に食べ物に関して味覚や趣味が合う人の方が良いですよね(*^^*)

そこを揉めないのが、私と彼氏の良いところなのかもしれません。

 

とまぁそんなキモい話はさておき、混ぜたものをオーブン皿に移して、オーブンに全てを託して…。

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完成!╰(*´︶`*)╯♡

でも焼きたてはまだ柔らかいので、オーブンが冷却終わるまで放置して、その後アルミ箔でラップみたいに覆って、冷蔵庫で数時間冷やします。

お菓子作りって、

オーブンの余熱がクッッッソ重要。クッキーもケーキも焼きたてはかなり柔らかいので、余熱で十分に温める必要があります。過去の失敗と私より女子力ある女子によると。

なので結井はお菓子作る時、焼き上がりの時間になっても、オーブンが完全に冷却完了するまでアラームがうるさくても放置します。

 

ある程度冷めたら冷蔵庫にぶち込み、そして数時間後…。

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すんなりナイフの入る、ちょうど良い固さのバスクチーズケーキができました!

 

肝心のお味はというと、コンビニのバスクチーズケーキよりは薄いけど、飽きのこないくどくない味で、サラッと食べられるものでした(^^)

自画自賛じゃないけど、

今回のお菓子作りはうまくいったw

 

皆さんも、どこにも行けない夏、せっかくだから普段食べれないようなスイーツを作ってみてはどうでしょうか?(*゚∀゚*)

 

 

不登校の日常 vol.65 新たなるうつキッチン

こんばんは。のろのろと更新します。

この間vol.65を既に書いたと思い込んで、66ってしちゃったけど、正しくはあれが65番目でしたね笑

ミスってしまったので、今回の番号を65とします。ごめんなさい。

 

さて、今回の不登校ネタは…。

またコロナの感染が拡大、てか今度は第一波よりやばそうな気配が漂っていますよね。

結井も、実家のある名古屋が再び感染が拡大しているので、また前みたいに出かけられるところが無くなって、コロナうつになるのを避けるべく、一人暮らし先にてステイホームしています。

一人暮らし先だと親がいないので、変な干渉をされることもなく、自分のペースで家事とかやれるので、体が抑うつで動きづらいのを除けば、それ以外はそんなに害はないです。

害はなくとも体は動きづらいので、やっぱり厄介なのが料理。

どんなに嫌でもお腹は空く。

もちろん、外食とかコンビニで物買ってくることもできますけど、お金にも限りがあるしコンビニの食品は味が濃くて食べ続けられない。

そこで最近結井がハマっているのが…。

 

オーブン料理!

火を使わなくて良いし、材料を切って混ぜるだけなので、めちゃくちゃ楽です。

そして、火を使うより料理が美味しい!!

 

具体的には、サバとレンコン&パプリカの韓国風並べ焼き

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小麦粉だけの野菜ピザ
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ズッキーニとベーコンのキッシュ
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↓断面がこちら↓
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鶏胸肉のタンドリーチキン
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とか作ってました。

そして、感想としては…。

サバも鶏胸肉も、火を使って焼くと、どうにもパサパサしたところがあって、あまり好きではないと思われる方も多いかと思います。でもね、オーブンで焼くと、本当にふわふわ、柔らかくてジューシーになるんです!

もうサバ焼くのに火とフライパンは使いたくない笑

ので、普段の料理がガラッと美味しく変わります。

明日も、オーブンを使って何か作ろうと思います。まあ明日は久しぶりにお菓子でも作ろうかなと考えていますが…。

皆さんも、お家にあるオーブンレンジのオーブン機能、使ってみてはいかがでしょうか?

 

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この本おすすめです!あとはクックパッドw

不登校の日常vol.66 一応、ぶ、文芸部なんだし。

こんばんは。上映会レポを書き終えて、ちょっと文に勢いの出てきた結井です。

いやあ、上映会行くまでは本当ぐったりしてたんですけど、やっぱり会館で色々見て聴くと、蘇ってくる感覚ありますね。

今週火曜日には、一人暮らし先の地区にて婦人部・女子部合同のオンライン御書講義があるので、また参加していこうと思います。

 

さて今回のお話。

そんなステイホームの時期、同人誌の原稿を書かなきゃいけなくて、でも進まないという日が多々ありました。ちなみに同人誌は現在、今年度は発行を延期、つまり締め切りも来年に延期になるかもしれないという話が出ています。コロナの影響で総会や活動ができなかったためです。なので、私も自身の体調のことを第一に考え、原稿を出すのを来年に延期しようと思います。

そして、まだ私が原稿と向き合えずにだらだら日々を送っていたとき、私はある作家に心を奪われ、その作品に逃避していました。

その作家は…?

 

村上春樹さんです。

村上春樹さんといえば、毎年ノーベル文学賞を取るか否かというので名高い作家です。有名な作品は「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」などで、作品は映画化もされていたりします。

その村上春樹さんの本に、なぜ惹かれたかというと、池田先生の「新・人間革命」を何冊か読んだあと、私には小説を読むリズムのようなものができていました。そのリズムのようなものに則って、他の作家の小説も読んでみたくなって、偶然、かつての教え子が好きだった村上春樹さんのことを思い出して、手当たり次第小説を買ったことがきっかけです。

初めは「ノルウェイの森」を読んだのですが…。

 

きわどい(´Д` )←

あと、描写が色々きつかった。ので、ちょっと精神の弱った私にはきつすぎて、読めませんでした。

でも、何かにジワったのです。村上春樹さんが出す独特の芸術性ある描写と、官能的なのにきわどいだけじゃなくて、その中に絵画のような細やかな描写があること。

そのジワるものが、私をある作品に導きました。それが、今回お話しする「騎士団長殺し」です。

村上春樹さんの作品でも、ここ数年のうちに出た新しい方の作品です。

「騎士団長」というと、ハリー・ポッターのようなファンタジカルなものを思い浮かべますが、ちょっと話は違います。

確かにファンタジカルなところはあるけど、それは読んだ感じ、「千と千尋の神隠し」や「君の名は」に近いと思います。

現代を生きる中に起こる不思議な現象、そして主人公のもとに訪れる奇妙な隣人たち。それは主人公を時に温かく包むけど、その裏が本当にやばい。あと、第二次世界大戦の本当のえぐさってのが分かるので、戦争の裏のこと知りたい人にはおすすめかも。

もうね、物語において、最後の第2部上巻まで全部フラグ。最初はダラダラと奇妙なことが起こって、あーもー(´Д` )ってなるんだけど、第2部に入るとだんだん分かってくる。そして下巻で一気にフラグ回収なので、下巻は一気に読まないと、てか一気に引き込まれるから、途中で読むのやーめたって間を取ったら何がなんだか分からなくなる。ので、かなり集中力を要するんだけど、最後はホッとするような終わり方です。そして、学会員なら「どこまでも信心根本」という意味が、「他人と自分を比較すること」ということのダメさがものすごく分かる作品だと思います。

騎士団長殺し」にも文を書く楽しさや面白さ、描写を教えてもらったので、また小説とか書くの頑張っていこうと思います!(*≧∀≦*)

 

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写真は「騎士団長殺し」の最後の巻を読んだ時に行ったスタバでの1枚です。

今期間限定の、シェイクン抹茶ラテ美味いの!(*´ー`*)

明日もスタバ行こうかな…←太る

私の活動体験vol.17 小さな、静かな一歩前進

こんばんは。コロナの自粛の影響で、学会活動が大幅に自粛になり、一切の座談会、唱題会、研修、家庭懇談会が無くなって5ヶ月。正直しんどかった。内得信仰なので家に仏壇はないし、好きなときにお題目やれるわけでもない。ある意味、活動停止に近い状態で他にも外出できる場所もそんなになく、半分コロナうつになっていた。周りの人たちとも会えないので、話をできる人もなく独りで耐えるしかなかった。

それが、どれだけきつかったか。特に学会の人たちは私を無条件で受け入れてくださった方々が多いので、そういった自分の味方、仲間が目の前からいなくなるというのは本当に心細かった。その合間に母親のヒステリー、できることの大きな制限、外に出たくても出られないつらさがうつになって私を取り巻いた。

正直、今の私に復帰プログラムはまだ早いような気がする。うつが収まったという感触がまだそんなにしないから。一応、復帰プログラムに向けて動きはしてるけど、私は近いうちに開始の延期を求めるかもしれない。

そんな後ろ向きな気持ちでいた中で迎えた、今日の池田先生会長就任60周年記念上映会。

多分これは、本当だったら今年のゴールデンウィークに観るものだったかもしれない。でも、コロナが私から学会に関して鼓舞してくれるものをすべて奪っていった。まるで私に「回復してもらっては困る」とでも言いたげな感じがした。もちろん、自分のことは自分で鼓舞しなきゃいけないんだけど。それにだって限りがある。

だから、新たな励ましをもらいに会館へ行った。

今回行ったのは一人暮らし先の地区が属する会館で、訪れるのはそれこそ新年勤行会のとき以来かもしれない。半年は行ってなかった。

私にとってはまだ馴染みの薄いところだったので、「久しぶり」というよりリセットされたような状態だった。

会場に入るまでに3回は手を消毒された。私は肌が弱いので、あんまり消毒されると手が荒れないか心配になりそうだった。

上映会の会場は、椅子同士が大体畳一畳くらいの感覚で離れていて、私語も慎むようなところだった。

もちろんマスクは絶対着用。とにかく抜けのないようにコロナ対策がされていた。それくらい、学会というのは世間から叩かれたら後生に残らないくらい叩かれるところなんだなと思った。

上映会の始めに原田会長が話していたが、御書の「さきざきの用心」は、昔の話じゃなくて、今も言えることだと知った。仏教は、日本史の関係からどうしても昔の話だと思っていたけど、この御書は現代にもきちんとつながっている…というか、もともと人はそうやって生きていくものだと、人の生き方の基礎のようなものを感じた。

そして本編。正直言って感動した。何というか、死がふたりを分けたその後も、あれまで師を思う弟子はいないだろうし、戸田先生は池田先生に、自身の命をすべて譲り渡すような教育をしていたんだなという気迫が感じられた。

「戸田先生の残したことを絶対に自分がやりきっていこう」その決意は、並大抵のものではなかったと思う。でも、それを60年もやってこれたということは、戸田先生はそれだけ池田先生に深く愛情を注いでいたし、池田先生には誰よりも色んなことを教えたり話したりしていたんだなと思う。じゃなきゃ、亡くなったあともこんなに人のことを覚えてなんていないし、文や話で語り継ごうなんて思わない。

そんな深く強い師弟の絆を私は感じ取った。

今回の上映会で流れたシーンは、新・人間革命の1巻とかわりと最初の方に出てきたものもあったので、まだ新・人間革命を全巻読み切っていない、入会2年目の私でも分かるところが多かった。

会長就任式での池田先生の声は、これまで私が聴いたことのない池田先生だった。

普段の指導や同時中継で聴く、柔らかでみんなを包むような声ではなく、覚悟を決め命をなげうつと決めた若い青年の声だった。違いすぎていて最初はびっくりしたものの、どこか心に響く声だった。

そして、執務室に掲示してあった和歌が、私の不安とバッシングでズタズタになった心を光らせた。

「これもまた自分の運命だと思えば何も怖くない。何も恐れない」起こることすべてに意味がある、と私に教えてくれた学会。「これもまた自分の運命」そうか、こうなる予定だったのか、必ず意味があるのか、その言葉は私に前を向かせてくれた。これまで活動なんてとてもじゃないけどできないと思っていたけど、その上映会を見てから、また地区の女子部の方や折伏の親とLINEで話すことができた。

ソーシャルディスタンスと時間制限で話はできなかったけど、自分のことを覚えていてくれた人たちがいた。

できることから、また学会活動をやっていこうと思う。それが私と折伏の親をつなぐ絆だから。

そして、今回の上映を見て、私はますます戸田先生が好きになった。(もともと私は池田先生より戸田先生のほうが好き←)命がけで池田先生に後生のことを託し、色々な物を池田先生に渡すと同時に自分の心も渡していたその情熱。そして、池田先生と一緒にいるとすごく楽しそうな戸田先生を見て、私はある人のことを思い出した。その人のことは個人情報保護のため詳しくは書かないが、パワハラされまくった私が初めて同じ職場で仲間だと思った人だ。その人と戸田先生がとても似ていた。厳しかったところも何か似ていた。そんなに笑う人ではなかったけど。

戸田先生はもう60年も前に亡くなっていて、私が戸田先生に会うことはできない。だけど、同じ教員として、どこかで私のことも見守ってくださっているかもしれないと思うと、とても温かい気持ちになる。戸田先生が池田先生に引き渡したその思いをもっと知りたいし、いつか戸田先生にあの世で会ったとき、「頑張ったな!」と笑ってもらえるように、今を生き抜いていきたい。今度は、信心と学会と一緒に。


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