不登校の日常vol.66 一応、ぶ、文芸部なんだし。
こんばんは。上映会レポを書き終えて、ちょっと文に勢いの出てきた結井です。
いやあ、上映会行くまでは本当ぐったりしてたんですけど、やっぱり会館で色々見て聴くと、蘇ってくる感覚ありますね。
今週火曜日には、一人暮らし先の地区にて婦人部・女子部合同のオンライン御書講義があるので、また参加していこうと思います。
さて今回のお話。
そんなステイホームの時期、同人誌の原稿を書かなきゃいけなくて、でも進まないという日が多々ありました。ちなみに同人誌は現在、今年度は発行を延期、つまり締め切りも来年に延期になるかもしれないという話が出ています。コロナの影響で総会や活動ができなかったためです。なので、私も自身の体調のことを第一に考え、原稿を出すのを来年に延期しようと思います。
そして、まだ私が原稿と向き合えずにだらだら日々を送っていたとき、私はある作家に心を奪われ、その作品に逃避していました。
その作家は…?
村上春樹さんです。
村上春樹さんといえば、毎年ノーベル文学賞を取るか否かというので名高い作家です。有名な作品は「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」などで、作品は映画化もされていたりします。
その村上春樹さんの本に、なぜ惹かれたかというと、池田先生の「新・人間革命」を何冊か読んだあと、私には小説を読むリズムのようなものができていました。そのリズムのようなものに則って、他の作家の小説も読んでみたくなって、偶然、かつての教え子が好きだった村上春樹さんのことを思い出して、手当たり次第小説を買ったことがきっかけです。
初めは「ノルウェイの森」を読んだのですが…。
きわどい(´Д` )←
あと、描写が色々きつかった。ので、ちょっと精神の弱った私にはきつすぎて、読めませんでした。
でも、何かにジワったのです。村上春樹さんが出す独特の芸術性ある描写と、官能的なのにきわどいだけじゃなくて、その中に絵画のような細やかな描写があること。
そのジワるものが、私をある作品に導きました。それが、今回お話しする「騎士団長殺し」です。
村上春樹さんの作品でも、ここ数年のうちに出た新しい方の作品です。
「騎士団長」というと、ハリー・ポッターのようなファンタジカルなものを思い浮かべますが、ちょっと話は違います。
確かにファンタジカルなところはあるけど、それは読んだ感じ、「千と千尋の神隠し」や「君の名は」に近いと思います。
現代を生きる中に起こる不思議な現象、そして主人公のもとに訪れる奇妙な隣人たち。それは主人公を時に温かく包むけど、その裏が本当にやばい。あと、第二次世界大戦の本当のえぐさってのが分かるので、戦争の裏のこと知りたい人にはおすすめかも。
もうね、物語において、最後の第2部上巻まで全部フラグ。最初はダラダラと奇妙なことが起こって、あーもー(´Д` )ってなるんだけど、第2部に入るとだんだん分かってくる。そして下巻で一気にフラグ回収なので、下巻は一気に読まないと、てか一気に引き込まれるから、途中で読むのやーめたって間を取ったら何がなんだか分からなくなる。ので、かなり集中力を要するんだけど、最後はホッとするような終わり方です。そして、学会員なら「どこまでも信心根本」という意味が、「他人と自分を比較すること」ということのダメさがものすごく分かる作品だと思います。
「騎士団長殺し」にも文を書く楽しさや面白さ、描写を教えてもらったので、また小説とか書くの頑張っていこうと思います!(*≧∀≦*)
写真は「騎士団長殺し」の最後の巻を読んだ時に行ったスタバでの1枚です。
今期間限定の、シェイクン抹茶ラテ美味いの!(*´ー`*)
明日もスタバ行こうかな…←太る
私の活動体験vol.17 小さな、静かな一歩前進
こんばんは。コロナの自粛の影響で、学会活動が大幅に自粛になり、一切の座談会、唱題会、研修、家庭懇談会が無くなって5ヶ月。正直しんどかった。内得信仰なので家に仏壇はないし、好きなときにお題目やれるわけでもない。ある意味、活動停止に近い状態で他にも外出できる場所もそんなになく、半分コロナうつになっていた。周りの人たちとも会えないので、話をできる人もなく独りで耐えるしかなかった。
それが、どれだけきつかったか。特に学会の人たちは私を無条件で受け入れてくださった方々が多いので、そういった自分の味方、仲間が目の前からいなくなるというのは本当に心細かった。その合間に母親のヒステリー、できることの大きな制限、外に出たくても出られないつらさがうつになって私を取り巻いた。
正直、今の私に復帰プログラムはまだ早いような気がする。うつが収まったという感触がまだそんなにしないから。一応、復帰プログラムに向けて動きはしてるけど、私は近いうちに開始の延期を求めるかもしれない。
そんな後ろ向きな気持ちでいた中で迎えた、今日の池田先生会長就任60周年記念上映会。
多分これは、本当だったら今年のゴールデンウィークに観るものだったかもしれない。でも、コロナが私から学会に関して鼓舞してくれるものをすべて奪っていった。まるで私に「回復してもらっては困る」とでも言いたげな感じがした。もちろん、自分のことは自分で鼓舞しなきゃいけないんだけど。それにだって限りがある。
だから、新たな励ましをもらいに会館へ行った。
今回行ったのは一人暮らし先の地区が属する会館で、訪れるのはそれこそ新年勤行会のとき以来かもしれない。半年は行ってなかった。
私にとってはまだ馴染みの薄いところだったので、「久しぶり」というよりリセットされたような状態だった。
会場に入るまでに3回は手を消毒された。私は肌が弱いので、あんまり消毒されると手が荒れないか心配になりそうだった。
上映会の会場は、椅子同士が大体畳一畳くらいの感覚で離れていて、私語も慎むようなところだった。
もちろんマスクは絶対着用。とにかく抜けのないようにコロナ対策がされていた。それくらい、学会というのは世間から叩かれたら後生に残らないくらい叩かれるところなんだなと思った。
上映会の始めに原田会長が話していたが、御書の「さきざきの用心」は、昔の話じゃなくて、今も言えることだと知った。仏教は、日本史の関係からどうしても昔の話だと思っていたけど、この御書は現代にもきちんとつながっている…というか、もともと人はそうやって生きていくものだと、人の生き方の基礎のようなものを感じた。
そして本編。正直言って感動した。何というか、死がふたりを分けたその後も、あれまで師を思う弟子はいないだろうし、戸田先生は池田先生に、自身の命をすべて譲り渡すような教育をしていたんだなという気迫が感じられた。
「戸田先生の残したことを絶対に自分がやりきっていこう」その決意は、並大抵のものではなかったと思う。でも、それを60年もやってこれたということは、戸田先生はそれだけ池田先生に深く愛情を注いでいたし、池田先生には誰よりも色んなことを教えたり話したりしていたんだなと思う。じゃなきゃ、亡くなったあともこんなに人のことを覚えてなんていないし、文や話で語り継ごうなんて思わない。
そんな深く強い師弟の絆を私は感じ取った。
今回の上映会で流れたシーンは、新・人間革命の1巻とかわりと最初の方に出てきたものもあったので、まだ新・人間革命を全巻読み切っていない、入会2年目の私でも分かるところが多かった。
会長就任式での池田先生の声は、これまで私が聴いたことのない池田先生だった。
普段の指導や同時中継で聴く、柔らかでみんなを包むような声ではなく、覚悟を決め命をなげうつと決めた若い青年の声だった。違いすぎていて最初はびっくりしたものの、どこか心に響く声だった。
そして、執務室に掲示してあった和歌が、私の不安とバッシングでズタズタになった心を光らせた。
「これもまた自分の運命だと思えば何も怖くない。何も恐れない」起こることすべてに意味がある、と私に教えてくれた学会。「これもまた自分の運命」そうか、こうなる予定だったのか、必ず意味があるのか、その言葉は私に前を向かせてくれた。これまで活動なんてとてもじゃないけどできないと思っていたけど、その上映会を見てから、また地区の女子部の方や折伏の親とLINEで話すことができた。
ソーシャルディスタンスと時間制限で話はできなかったけど、自分のことを覚えていてくれた人たちがいた。
できることから、また学会活動をやっていこうと思う。それが私と折伏の親をつなぐ絆だから。
そして、今回の上映を見て、私はますます戸田先生が好きになった。(もともと私は池田先生より戸田先生のほうが好き←)命がけで池田先生に後生のことを託し、色々な物を池田先生に渡すと同時に自分の心も渡していたその情熱。そして、池田先生と一緒にいるとすごく楽しそうな戸田先生を見て、私はある人のことを思い出した。その人のことは個人情報保護のため詳しくは書かないが、パワハラされまくった私が初めて同じ職場で仲間だと思った人だ。その人と戸田先生がとても似ていた。厳しかったところも何か似ていた。そんなに笑う人ではなかったけど。
戸田先生はもう60年も前に亡くなっていて、私が戸田先生に会うことはできない。だけど、同じ教員として、どこかで私のことも見守ってくださっているかもしれないと思うと、とても温かい気持ちになる。戸田先生が池田先生に引き渡したその思いをもっと知りたいし、いつか戸田先生にあの世で会ったとき、「頑張ったな!」と笑ってもらえるように、今を生き抜いていきたい。今度は、信心と学会と一緒に。
不登校の日常 vol.64 不登校に終わりはあるのか
さて、連続更新です。
今回はちょっと内容が真面目なものになるかもしれません。というのは、教員のリアルな復帰・休職について、制度の観点からお話しするからです。(✳︎制度は自治体ごとに違うので、あくまでも私が勤める県のお話です)
一応、今の病状からして、私がまた学校に赴くのは10月ごろになるんじゃないかなと思います。一応、今は昨年から飲んでいる抗うつ剤と、不安時の頓服薬と入眠剤でギリギリ落ち着いている状態なので、この状態が続けばまず10月から復職を目指したリハビリ的なもの、要は県の復帰プログラムなるものを受講します。
これは、民間企業で言うところの作業軽減措置みたいなやつ?かな(*´ー`*)
最初は朝の2時間、学校に来るだけ、から午前オンリー、朝から定時まで、と徐々に学校にいる時間を増やしながら簡単な仕事をこなして心身を学校に慣れさせるものです。
それが3ヶ月弱続き、全部終わったら産業医的な人と面談して、OKが出れば正式復帰となります。
ただ、やっかいなのが、この復帰プログラム、途中で倒れることができない←は??
いや、途中で倒れる…というか、途中でまたうつが悪化して学校に行けない、となった場合、また休職になるので、次に復活した後での最後の関門、産業医さんとの面談でのOK判断基準がものすごく厳しくなり、復帰が難しくなるのだとか。
なので、またちょっとうつがぶり返してしんどかった結井に、復帰プログラムはまだ早いかもしれないなぁ…、また倒れて起き上がる、みたいなのは正直嫌なので、悩みどころではあるのです。ちなみに管理職は、「大体の人が2年くらい休職するから、まだ休んでても良いんだよ(^^)」と仰ってくださってはいるんですが…。
でも、早く復帰したいという思いもあるのです。というのは、経済的な観点から。
これまでの記事を読んで下さった方にはお分かりのように、私にはいつブチギレるか分からない母親がいます。その母親が職場並みにストレスになって、うつになることもあるのです。
正規職員になって、やっと安定した収入を得ることができると思ったからこそ、母親から逃げるために一人暮らしを始めました。(もちろん、家から職場までの距離やそろそろ親から独り立ちしたい歳だったこともありました)
もちろん、学会活動の観点からも、親に隠れてこそこそ信心するより、一人暮らしして堂々と信心したいという思いもありました。
その一人暮らしを続けなければ、私に本当の意味の逃げ場はありません。そして、一人暮らしは、お金が必要です。家賃、ライフラインの支払い、食費、通院費。そのことを考えると、お金が必要になってきます。
でも、休職してても一応お金は入ってきます。
だけど、そのお金は通常の8割ほど。(休職1年未満の場合)私の自治体は、休職が3年までできます。そして、年数によって給料の支払い割合が下がっていきます。
あと、ボーナスですけど、一応出ます。通常の5分の1くらい出てました。
このことを知った時、
私は正規になって本当に良かった、私はあの極悪環境下で本当に頑張ってたんだなと思いました。
まあそんないっぱいもらっているわけではありませんが(´Д` )
非正規だと、任期満了になれば自動的にアウトなので、(✳︎私は非正規の時も病気休暇を経験してます)正規は本当に至れり尽せりで、本当にありがたかったです。
なので、いつまでも休んではいられない、という気持ちと、うーんまだ治ってない、早いかなぁ( ´△`)という気持ちとで、ぶつかっているところです。
来週に正式に復帰プログラムを受けるか否かまた面談があるので、それまでには決めたいと思っています。
まずはお題目をやれるようになれればいいんですけどね(・ω・`)
追記
職場で人が話す声に気が散ったり具合が悪くなったり心身共に悪影響を及ぼすことから、主治医にノイズキャンセルイヤホンを勧められたので買いました。
ヨドバシカメラで、タイムバーゲンをやっていたのと、ポイントカードのポイントを使って、ちょっとお安く買えました(*≧∀≦*)
付け心地は、耳の穴がしっかり塞がれてて、音楽に集中できるし、マスクをしても耳のゴムに引っ掛からないので楽です!(o^^o)音楽をかけなくとも、ノイズキャンセルの状態オンリーでは周りの雑音が遠くに聞こえる感じがして、さほど気にならなくなります。ノイズキャンセルというと完全に聞こえなくなるかな、と不安だったのですが、そういう訳じゃなかったので、ちょっと安心しました。
来週の面談の時、管理職に使用して良いか相談します(`・ω・´)
不登校の日常vol.63 近況報告です!
こんにちは。かれこれ1ヶ月くらい更新してなかったと思いますがお久しぶりです。
さて、なぜ私がまた更新できなかったかというと、母親から訳の分からないバッシング…というか、正直に書くと、父の日に家におらず(一人暮らし先にいたんだけど)父親をひとりにしたことが原因でした。いや、今までは父の日に家にいなくても別に何とも言ってこなかったのに、急にブチギレてきたのでこちらとしては訳が分からず、
何で??( ゚д゚)という感じでした。
そもそもうちは、誕生日とか母の日とかクリスマスとかの行事ごとはちゃんと行っていた家でしたが(母親の教育方針上)、大学生になったり社会人になったりして私の行動範囲が広がっていき、私が外で行事ごとをやっても何も言われませんでした。なのに突然。
行事の日は家にいろ、と言われてしまいました。じゃあ、家にいて何すればいいの?と尋ねると、家にいればいい。
20代になってやっと色んな試験勉強から解放され、社会人になってやっと遊びの本質をつかんで外を覚えた私には、苦行でしかない。てかつまんないよ。
今時テレビも面白くないし。
今家でやれることっつったらあつ森かYouTube鑑賞しかない。学会・公明党大嫌いな家なので、お題目もやれない。そんな閉塞的な家に居るのは、正直息が詰まる。
さらに、母親の仕事が遅くに終わることもあって、普段の夕飯は私が作っていたのだけど、それがまずいととにかく母親がブチギレてくる。他にも、量が多い、こんな切り方はしない、と、自分の思ってるものと違うものが出てくるととにかく私に当たり散らす。具体的な見本も指示もなく、やるだけやらせて私のやることを否定する。何かにつけて私がダメだと言いまくる。まるでパワハラ上司。さらに仕事から帰ってくるのが深夜近くなので、夜中も起きていて、明かりが漏れてくるので眠れない。
こういったことから、またうつっぽくなってしまい、しかも前より悪化してしまった。
抑うつを治すために休職してんのに、親にうつにされるって本末転倒。
という訳で、病院にて主治医より新しい抗うつ剤を処方されたんだけど、その薬がね…。
まじで副作用きつい。いやガチできつい。起きたくても起きれない。一日中まじで眠いしフラフラした。
しかも、薬を処方された次の日、教育部のオンライン研修会があって、参加したんだけど、前半1時間くらいで副作用きつすぎて起きていられなくてギブアップ。まぁ他にも参加できなくなった理由はあったんだけど、起きていられなくなり途中で逃げました。
学会活動も、大白蓮華とか潮は買ってあるものの、何か読む気になれず、放置してあります←ごめんなさいm(_ _)m
お題目も言うてやる気になれず、いや、祈りたいことはあるけど、何か心が祈ろう!って気になれず、何となくうつうつした日々を送っております。
誰かと話したくても、またコロナが流行りつつあるので会いに行けないし、仕事も忙しそうなので電話もためらってしまう。
結果ひとりで抱え込むと言う結果になって、自分でも何か弱ってるなぁという感じです。
あ、仕事の復帰のことですが、それは次の更新でお話しします。実は、復帰についてちょっと動きがあったので、そのことも書きますね。
それでは!
追記
一人暮らし先では誰からも料理にケチをつけられないということで、思いつきと勢いでキッシュを作りました!冷凍パイシートの上に卵と炒めたベーコンと玉ねぎ、ズッキーニ、ピザ用チーズを混ぜたものを流し込んでオーブンで焼くだけ!これだけで夕飯&次の日の朝ごはんはいける笑
断面はこんな感じに、フワフワな卵が美味しかったです!
皆さんもおうち時間でキッシュ作ってみてはどうでしょうか?╰(*´︶`*)╯♡
不登校の日常vol.62 意外な真実
今週のお題「外のことがわからない」
こんにちは。ムシムシする今日この頃、国内各地が梅雨入りしましたが、いかがお過ごしでしょうか。
結井は相変わらず同人誌の原稿書けてないし、毎日をダラダラ過ごしているだけです(・∀・)
まあ、うつにはダラダラ過ごすことが必要だと思うので、気にせずダラダラしています。←原稿
さて、今回の記事。実は前回のお題の記事を書いた後、一つ思い出したことがあるのです。
「外のことがわからない」そういえば、かなり重大なものがあったなあ・・・。
それは、学校。
昨今のメディアやネットでは、教員や部活のあり方がブラックだと色々騒がれていますが、それは本当です。
もちろん、他の職業だってブラックなものはたくさんあると思いますが、教員経験者の私から見て、学校の内部がブラックだということは間違いありません。
中でも、私が経験した学校(自分がかつて通ってた学校もコミ)の中でダントツ面倒なのは、「自称進学校」です。
え、何それ?とお思いの方もいらっしゃると思うので、簡単に説明すると、自称進学校は大体普通科の高校の中にある有名な進学校よりレベルが中途半端、型落ちしたような学校で、有名な進学校みたいな教育をしたくてもどうにも空回りばかりして生徒も教員も噛み合わない学校のことです。
私が通っていた高校は、服装とか遅刻とかにめちゃくちゃ厳しくて、「何でそんなことまでいちいち言われなきゃいけないの?」と常識ある生徒がうんざりするようなことまで学年集会でうるさく言われていました。
しかも、教員の中には生徒をバカにする発言をした教員もいて、何で教員やってるの?と言いたくなるような教員もいました。
で、何が言いたいかというと、こういう自称進学校の教員や学校は、閉じた空間なので外のことが入ってきづらい状態にあるのです。しかも、塾を非常に嫌って、(そのわりに塾提供の模試は受けさせる)学校の授業や補習だけで国公立に受かるとかほとんどありえないことをのたまうので、生徒は塾に行かせない限り、基本毎日学校に閉じ込められます。閉じ込める、と書くとお叱りを受けそうなのですが、はっきり言って塾の代わりも担う教員たちの授業のクオリティーはどうかというと、最悪です。
あんなの受けるなら塾行って少しでも分かりやすい授業受けたほうが身のためです。
というのは、私が自閉症スペクトラム持ちかつ聴覚情報の処理で生きていたからです。
聴覚情報を得ようにも、言っていることが難しい、分かりにくい情報だと、結局分からないままです。
そこに、クオリティーの低い補習を、何の理由の説明もなく、土曜も心を休めることを許されずに強要されれば、自閉症スペクトラムの人は高確率で嫌になると思います。(誰でも嫌になると思いますが)というのは、自閉症スペクトラムの人は、自分のルーティーンや考え方を急に荒らされたり邪魔されることを非常に嫌います。
そこに、まだ事前に理由説明コミの連絡が入れば理解することはできますが、私の場合、2、3年生であった補習は何も理由を語られずに、いきなり私のクラスのみ強制されました。
しかし、教員たちは、保護者をうまい感じに丸め込みます。てか、進路指導会みたいなので洗脳してきます。
学校の指導のみで大学に行くことができる、昨年度は〜人中・・・人、つまり○人に*人、こんなに有名大学に受かりました!と数字を使ってうまい具合にだましてきます。何か催眠商法みたいだよね。
でもそれ、ひと学年とかひとクラスとかで計算に当てはめると、実は大したことない。
ので、元自称進学校生かつ元自称進学校で勤務した教員の結井から、皆様にお願いがあります。
学校に騙されないように、常に大学や学習内容の情報は掴んどきましょう。そして、勉強は、自分の得手不得手をしっかり調べてからやったほうがいい。ので、ぜひ心理検査とか受けてください。私の後悔から言います。
ちなみに結井は聴覚情報処理に長けていたので、話術のうまい塾の先生の講義とか、キクタンみたいに聴いて覚える系の教材が合っていたと思います。心理検査やると(WAIS‐4おすすめ)そういう自分の特性がわかるので、勉強もやりやすくなると思います。
補習も嫌だったらサボったっていい。その代わり、自分で勉強する強さを持とう。嫌な先生たちに負けるものかと。
また、自称進学校の嫌なところは、断固国公立主義、公務員とかカタギの道洗脳が多いので、空想科学読本よりも子どもの夢を壊しやすいということです。でも、工業高校で色んな進路に進む生徒たちを見てきた私に言わせると、子どもは夢を見させ続けたほうがいいです。下手に親とかが入って干渉するより、とことん自分のやりたいことをやらせて、挫折や成功を味わわせたほうが、より良い人間に育つと思います。しかも、あんまり否定されてばっかだと、子ども・・・てか私も大人もそうだと思うけど、無気力になりませんか?正直、無気力の子どもを立て直すほうが難しいです。経験上。
なので、私が皆さんにやってほしいのは、学校の言うがままに生きるのではなくて、自分のやりたいことに責任を持って、堂々とやることです。文句言ったり干渉してくる人はスルーしましょう。だって自分の人生、自分が主役なんだから、やりたいことやらなくてどうする。
あと、最新の情報を(特に学部学科や奨学金関連は絶対)常に見張ることです。
教員はあてにしなくていい。もちろん一生懸命指導してくださる方もいらっしゃると思いますが、「あ、合わない」「何かおかしい、この学校」って思ったら、直感信じてください。それ合ってます。
というのは、教員の環境って今が令和なのに、まだ昭和って揶揄されるくらい古いので。
だから私も、常に最新の情報に目を見張り、生徒を後押しできるようなサポートをしていきたいと思っています。
自分の環境が良くなきゃ、現場の生徒たちのその時その時に合う指導もできませんからね。
追記
日曜日に、一人暮らし先の近くにある某カフェレストランで、プリンパフェ食べました(*´∀`*)
ジョッキに入っているので量多めかと思いきや、大体普通のパフェくらいの量でした。
プリンも美味しかったし、ミルクアイスのなかに入っていたパイ生地が良いアクセントになってて、ペロッといけました(๑´ڡ`๑)
またパフェ食べたいです。皆さんの好きなパフェはなんですか?
不登校の日常vol.61 本当にやってほしいこと
今週のお題「外のことがわからない」
書いていたらどんどんアイデアが湧くのは物書きのくせだろうか。
これまでだらけていたのに、キーボードを叩いた瞬間一気に作業モードに入った。
さっきの記事を書いていて一つ思い出したことがある。
それは「情弱がどれだけ恐ろしいことか」ということだ。
かつてアニメ化された漫画「ポプテピピック」に書いてあった言葉がある。
「暗闇はなく、無知があるのみ」ちなみにこの言葉はシェークスピアが書いたらしいけど。
私の母親然り、教え子たちしかり、無知というのはどれだけ恐ろしいことか。
母親は、自分のかつてのトラウマや、思い込みの激しさや、新しいものをあまり受け入れたがらないということや対話不足で、私をものすごく傷つけた。私は発語が遅かったことや、周りに友達がいなかったこと、当時はネットが発達する前だったこともあって、大学生くらいまで母親の言うことばかり信じていたように感じる。
でも、スマートフォンで気軽にネット検索ができるようになったことや、大学で知り合った友人や彼氏などと話をしていくにつれて、私の世界は一気に広がった。さらに学会入会を果たした後は、会合や家庭コンに行くようになって自分とは異なる分野の人たちと関わるようになり、私の知る世界は今、更に広がっていっていると思う。
だから精神科での治療や抗うつ剤の服薬も怖くない。
母親は薬のせいで私の具合がおかしくなっているとか、薬をやめろとか、精神科に行った時点でだめだとか、闘病に関していろいろ傷つくことを言ってくる。でも、私は教育部のお姉さまに教えていただいた。実は精神科に通うことや抗うつ剤を服用することは、最先端の治療を受けていることだと。そして、海外ではかかりつけ医のように精神科が身近な存在になっていると。それに、抗うつ剤を服用することは、風邪を引いたときに風邪薬を飲むことと同じだと。それを聴いたときには目からウロコが落ちた。
私は何も悪いことはしていなくて、そうか、最先端の治療を受けているから分からなかったのか。それは分からないよな。と。
御書にある三障四魔みたいだなあと思った。だから、知らないというだけで人を傷つけるし、知ることで自分を守れる。勉強は、ある意味自分を守る武器を増やすものなのかもしれない。
でも、その「勉強」は、別に難しいものではなくて、要は「見聞を深める」ことなのだと思う。
私がかつて講師を務めたある学校の生徒たちは、自分の好きなものしか興味がなくて、その他のものは一切手を付けない子どもたちが多かった。とにかく無気力なのだ。あの手この手を使って逃げようとした。
そういった子どもたちに課題や努力をさせるために、私も奮闘していたのだが、彼らは話を聴いてみると、本当に閉ざされた空間にいた。誰もかまってくれる人がいなかったり、認めてあげる人がいなかったりした。部活だけやりに来ている子もいた。だから私はなるべく色んな対話をした。それはお互いの過去だったり、彼らの好きなものだったり、愚痴だったり夢だったり、色んな話をした。そこで言えるのが、学校では各教科の勉強が一番大事だけど、見聞を深めるということも同時に指導してあげた方が良いのではないか、ということである。
それは別に難しい本でなくても良い。漫画でも雑誌でもテレビでもネットでも、とにかく普段から色んなものにアンテナを張っておけば、色んな知識が深まるし、社会人になった後、色んなものを楽しむことができるからだ。
そして、考え方も一つの考えに凝り固まることなく、色んな方面から物事を見ることができるようになる。
そうすれば、色んな人と友達になれるし、友達になれば遊び方も増えるから一石二鳥だ。
私は普段そういうことを思って街やらショッピングモールやらをふらついている。そしてネットも眺めている。
今の高校生たちは何が好きなのか、巷では何が流行っているのか、何が起こっているのか、自分のためのマーケティングと思って、様々な情報をかき集めている。
無知故に自分が損したり、人を傷つけることがないように。
マスクを付けて、外へ出ましょう!!新しい情報はそこらかしこに転がっていますよ!
私の活動体験vol.16 難しい挑戦
今週のお題「外のことがわからない」
こんにちは。記念すべき101回目の記事ということで、今日は少し難しいお題にトライしてみたいと思います。
「外のことがわからない」というのを見た時、私の中では「世間知らず」「情報弱者」というような言葉が思い浮かびました。
そこで思い出すのが、折伏の親や周りの先輩たちに「純粋だね」と言われることです。
以前、折伏の親がリーダーを務めていたある地区の男子部員さんが、なかなか周囲のアドバイスを聞かないということで折伏の親から愚痴をこぼされたことがあります。ですが、その方はご家族がみんな学会員のため、生まれたときから学会員という方でした。
「凜香ちゃんを見習ってほしい」というようなことを折伏の親に話されましたが、はっきり言って私はあまり純粋な方ではないと思います。純粋というより、学会に関する情報が、折伏の親を介してとか、座談会に参加した時とか、聖教新聞とか、限られた時間に限られた人やモノによってしか得られないので、それを聴いてそのとおりに活動するしかなかったのです。折伏されていた時や信心し始めの当時は、まだ実家ぐらしだったため本が自由に置けず、聖教新聞はとれず、大白蓮華も会合で人に見せていただいたり、座談会で余っていると言う人に譲っていただいたりして本当にモノに欠けた信心をしていました。会合が唯一の命綱でした。
そして現在、会合は自粛中ということもあって、私の地区について得られる情報は何もないし、一人ぼっちで親の目を忍んで信心するという、ある意味しんどい状況にいます。ひょっとしたらリレー唱題とか電話連絡とかいろいろやっているのかもしれませんが・・・。自分から連絡するの怖い。゚(゚´Д`゚)゚。←
私、電話が怖い人間なので、自分から掛けることはほとんどしません。私が電話するときは本当に精神的にやばいときです。良くも悪くも。
でも、さっき実は弥のメンバーで私を文芸部に導いてくださった方と連絡を取り合えたので、(メールでだけど)ちょっとは進歩したかな?(*´∀`)
この土日を使って、女子部の方に連絡を取ってみようと思います。
いつまでも独りで、「外のことがわからない」と嘆いていても、何も始まらないから。
おまけ
ブログ100記事到達と明日の牧口先生のお誕生日の前祝いを兼ねて、名駅はミッドランドスクエアにあるレストランでさくらんぼタルトを食べました!!(まあ父親の緊急パシリもあったのだけど)
このさくらんぼ、佐藤錦とアメリカンチェリーなんですけど、酸っぱすぎなくて本当に美味しかったです!
ちなみに牧口先生のお誕生日は6月6日ですが、私の誕生日はちょうど1月6日と半年ずれているんですΣ(゚∀゚ノ)ノキャー
覚えやすいでしょ?←何が